ラース・フォン・トリーア監督『Dogville』

私は、こちらに来てから、やたらと映画を見ているのですが、今日も思わず勢い余ってラース・フォン・トリーア監督の『Dogville』 という映画をDVDレンタル屋で借りて見てみました。ラース・フォン・トリーア監督といえば、見た後気分が悪くなる映画を作らせたら世界屈指という評判の方ですが、私はまだ彼の作品を拝見したことがなかったので見てみました。


映画のストーリーは、アメリカの山間の寒村ドッグヴィルに、ギャングと警察に追われた1人の美しい女性グレース(ニコール・キッドマン)がやって来るところから始まります。彼女は、村に受け入れてもらうために、献身的に人々に尽くすのですが、村人達は彼女を匿っているという強い立場だということもあり、次第につけあがり、彼女を奴隷のように扱うようになります。最後は、評判に違わずと言うか、かなり悲惨なもので、エンターテイメント映画を求める人には、全くお勧めできません。


この映画の技法的な特徴は、舞台設定の特異さです。この映画は最初から最後まで、ドッグヴィル村に舞台が限定されるのですが、このドッグヴィル村はスタジオの地面にチョークで通りや家の境界に白い線を引いただけで表現されています。

これは、狭い村の閉塞感(なにしろスタジオの広さしかないのですから)や村でのプライバシーの無さを表現したり、様々な人々が同時に違うことをしているのが同時に見えると言うことで、引いた視点から場面を見せるなどの効果を狙っているのかもしれませんが、効果が上がっているのかどうかは、私には判断が付きかねます。

個人的には、多分普通に撮った方が、映画としては完成度が高くなったとは思います。どうしても、演劇みたいに見えてしまうので。でも、中には非常に効果的なシーンもあったので、これもありでしょう。こういう変な実験は、私は嫌いではないです。


トリーア監督は、かなりセオリーから外れた撮り方をするという評判を聞いていたので、この作品ではどうだろうと思いましたが、舞台設定が特異なせいか、カメラワークなどは特に奇を衒ったところもなく、普通に見れました。思ったより、ずっと見やすい映画でした。

個人的には、これぐらいなら、結構多くの人の許容範囲に入るのではないかと思いました。ニコール・キッドマンを使うくらいなので、予算はそれなりに潤沢な大作だったのでしょうから、気を使ったのでしょうか。


ただ、撮り方は普通でも、やはり舞台が殺風景で、代わり映えがしないし、上映時間が3時間近くと長いので、余りポップな映画とは言えません。それでも、わりと最後まで見るのがしんどくなかったのは、ニコール・キッドマンの華によるところが大きかったと思います。


私は彼女の映画は観たことがなかったのですが、彼女は、もの凄い美人ですね。彼女が画面に映っているだけで、その画面が成り立ってしまうほどの華は凄いです。さすが、ハリウッドで頂点に立っているだけのことはあります。ストーリーはまあアレですが、それはともかく私は、最初から最後まで、ニコール・キッドマンの美しさに見惚れていました。そういう意味では、個人的には、『ドッグヴィル』は、かなりの萌え映画でした。

作中では、男達がどんどん彼女の魅力にイカレていくのですが、あんな寒村に、あんな絶世の美女がやってきたら、そりゃおかしくもなりますよ。公式サイトで、アラーキーが、「ニコール・キッドマンは究極のエロス」とコメントしていましたが、特に何をしているわけでもないのですが、作中でキッドマンは妙にエロティックに見えます。

どうしてそう見えるのかまでは、さすがに気を付けて観ていませんでしたが、普通に撮っているように見えて、どことなく彼女がエロティックに見えるように、演技、台詞、衣装、カメラなどによって、微細な演出がなされていたのだろうと思います。そこら辺は、非常に演出が上手かったと思います。


この作品の要は、舞台を究極まで制限して、演劇的にしていただけあって、ストーリーにあったと思います。この映画の主要なテーマの一つは、ある者がある行動を取るのは、ある条件があったからだという、人間が環境によって規定されているということだったと思います。ラストでは、主人公が虐待されたのは、彼女が村人たちが虐待をしてしまうような環境を、村で作ったからだ、つまり彼女の責任だということが指摘されるのですが、基本的には余り個人の主体性というものを強調しない、環境決定論的な結論だったように思えます。


このような考え方の是非は、ここでは特に問いませんが、ストーリーテリングで言えば、前半で幸福な時代をたっぷり見せておいて、後半次第に雲行きがおかしくなり、行くところまで行き着いた後、最後の最後でドッカーンとどんでんがえしという、意外性と緊張感のあるものだったと思います。あの単調な舞台で、あれだけの長丁場を見せるのだから、さすがに脚本はしっかりしていたと思います。


後半は気分が悪くなる場面も多いですし、最後も救いようがありませんが、作中でやっていることは、リアルと言うよりは、非常に極端というか、言ってしまえばご都合主義的なものなので、その意味では内容にしてはポップな映画だと思いました。何だかんだで、後半以降結構盛り上がりますしね。映画の中での極端さというのは、観客により強い刺激を与えるということで、その辺が、トリーア監督が扱うテーマの重さにも関わらず、商業的にもそれなりに良い線行っているところなのかなと思いました。多分、商業的には、淡々とした、地味な映画を撮る人の方が、トリーア監督のようなタイプよりは、きついのでしょう。


しかし、個人的には、この映画の魅力は、ニコール・キッドマンの美貌に尽きます。余り思い出したくない場面が多いのが残念ですが、これを機会に、彼女の他の映画も観てみようかなと思いました。もちろん映画自体も非常に興味深いものだったので、トリーア監督の別の映画も拝見させていただきたいと思いました。