連載(2−2)ドイツ語ポップスブーム総論


3.インディーロックのメジャーへの浮上


今回のドイツ語ポップスブームの特徴は、これまで説明した二つの特徴、つまりドイツのミュージシャンが売れたこと、ドイツ語のポップスが売れたことではなく、ドイツのミュージシャンによる、ドイツ語で歌われた、インディーロックが売れたことにあると思います。つまり、単にドイツ語で歌っていれば良いのではなく、これまでメジャーシーンには余り浮上してこなかった非商業的な、インディーロックの影響を強く受けているバンドが売れたという意味合いを、暗黙の内に含んでいるようです。


基本的に、このドイツ語ポップスニューウェーブは、「ドイツ語で歌う」という部分が最大の共通部分だとされているので、必ずしも音楽的に一枚岩ではありません。しかし、今回のブームの担い手には、音楽的にはインディーロック、つまりメインストリームのポップスからは少し外れた、グランジオルタナティブ、ガレージロック、ギターポップエレクトロニカなどの要素を含んだ音楽を作るバンドが多いです。

少なくとも、エンターテイメント性の高いポップス、R&B、ヒップホップのミュージシャンは、たとえドイツ語で歌っていても、ドイツ語ポップスブームの担い手には入らないと見なされています。たとえば、ドイツで最も人気のある女性ポップス歌手の一人であるYvonne Catterfeld イヴォンヌ・カッターフェルトもドイツ語で歌っていますし、SidoジーEco Fresh エコ・フレッシュなどのラッパーもドイツ語でラップをしています。

彼らがメジャーシーンに登場した時期は、ドイツ語ポップスブームと同時期ですが、ドイツ語ポップスブーム担い手として名前が挙がったことは、私が知る限り一度もありません。

そのため、ドイツ語ロックブームは、単にドイツ語で歌うかどうかだけではなく、ギターロック、インディーポップ、エレクトロニカなどの商業的な色彩が薄い音楽ジャンルと密接に結びついていると言えます。


ドイツ語ロックブームの象徴とも言えるWir Sind Helden ヴィア・ズィント・ヘルデンは、インディーロックのメジャーシーンへの浮上という意味でも象徴的でした。彼らは、まだレコード契約のない時代に、ラジオ局やテレビ局に彼らのシングル「Guten Tag グーテン・ターク」を送りつけ、この曲が実際に放送されたことから有名になったバンドでした。当時の彼らはもちろん無名のインディーズバンドでしたし、音の方も、パンキッシュなリズムに、脱力するようなシンセを乗せた、ヘタウマ演奏のインディーロックでした。

また、もともとWir Sind Helden Virginia Jetzt! の先駆と見なされているのは、やはりドイツ語で歌っているTocotronic トコトロニックBluemfeld ブルームフェルトなどのドイツを代表するインディーロックバンドであり、ドイツにおいては当初からドイツ語で歌うことと、インディーロックの間には、密接な関係があったと言えると思います。

ドイツ語ロックブーム初期のWir Sind HeldenMia ミアVirginia Jetzt! とは異なり、Silbermond Juli が大ブレイクを果たし、ドイツ語ロックが本格的に商業的に主流になると、様々なミュージシャンが登場し、当初のインディー色が薄まったのは事実です。

しかし、音的にはインディー色が弱いSilbermond も、若者が商業的ポップスではなく、本物のギターロックを選択したことの象徴のように描かれた記事もありました。やはり、それまでの商業主義的ポップミュージック、つまり音の作り手とパフォーマーが別々のアイドル的な音楽とは異なる、本格嗜好の音楽が、このブームの担い手であるという前提は、今も崩れていないように思えます。


ドイツ語で歌うことと、非商業的なインディーロックが結びついているというのは、非常に興味深いことだと思います。インディーロックの一つの特徴として、ある種の批評性、自分たちがやっていることに対する自覚性みたいなものがあると思います。彼らは、その批評性故に、英語で歌うことの植民地性のようなものに気づかざるを得ず、安易に英語で歌うことができなかった、あるいは拒んだのではないかというのが、日本における日本語ロックの過去を鑑みての私の推測です。

英米以外の国におけるポップミュージックを考える際には、必ず英米との関係という問題が立ち上がってこざるをえないと思います。ポップミュージックにおける、ナショナルアイデンティティーというのは、かなり決定的に重要な問題であると思いますが、それはドイツにおいても例外ではないと思います。そして、どのようなかたちでなのかは私にはまだ分かりかねますが、今回のドイツ語ロックブームでも、ドイツのポップスが、どうやって英米ポップスの完全な植民地であることから脱し、英米に対しどのようなナショナルアイデンティティーを提示できるかという問題は、あからさまに外に現れないにしても、水面下に常に潜在している問題であろうと私は感じています。