紀里谷和明監督『Casshern』

今日は、研究史をまとめたり、構想をメモしたりと頭を使い、少々疲れたので、気晴らしにDVD を借りてきました。頭を空っぽにして見たかったので、なるべく無内容そうな映画の方が良いと思って、とりあえず紀里谷監督の特撮映画『Casshern』を選んでみました。

しかし、見始めると、思ったよりも遙かに凄い映画だったので驚きました。ネット上で、賛否が分かれているというのは知っていたし、色々と欠陥があるということは聞き知ってはいたのですが、自分の予想を遙かに超えるトンデモ映画ぶりに唖然とさせられました。

もう再生した瞬間から、ツッコミどころ満載で、休む暇がありません。とにかく、場面設定や、キャラクターの心情や行動の一貫性、物語の進行、物語や場面設定とテーマの関連性が、ことごとく存在しないので、見ていて、いったいこの映画が何を描いているのか、さっぱり分かりませんでした。

たとえば、何のために長い間戦争を行っているのか全く説明がありませんし、どこで、どのように戦闘が行われているのかも全く説明がありません。また、軍が新造細胞というものを開発しており、その実験場に、雷のようなかたちをした棒のようなものが落ちてくるのですが、これが何なのか全く説明がありません。この棒のようなものが落ちてきた後、培養プールから、新造人間がぽこぽこ生まれてくる(実際には、バラバラになった身体の部分部分が結合して、人間のかたちに戻ったらしい)のですが、軍はこの新造人間を皆殺しにしようとします。しかし、何故皆殺しにしようとするのか、全く説明がありません。

この新造人間たちは、赤い透明な水の中から生まれたのですが、何故か頭からつま先まで、泥だらけになっていますが、何故泥だらけなのか全く理解不能です。また、彼らの中の4人が軍の手から徒歩で逃げ延び、山の中に辿り着くのですが、そこは何と巨大なロボット工場だったのです。彼らは、そこでロボットを生産して人間に復讐しようとするのですが、何故そんなところにロボット工場があるのか、何故首都から徒歩で行けるような近い場所にそんなロボット工場が放置されているのか、何故彼らが工場に着いた後自動的にロボットが勝手に製造されるのかについては、全く説明がありません。

その後も、敵のロボットが首都を一度完全破壊しているのに戦争が延々続いていたり、ただの銃を持っただけの軍人相手に無抵抗に蹂躙され、命からがら逃げ延びた新造人間たちが、砲弾を素手で受け止め、数百ものロボットを一人で破壊するキャシャーンと生身で互角に戦うなど、全く理解不能な場面が続きます。これ以上のツッコミは避けますが、とにかく最初から最後までこの調子で、脚本が余りにも酷すぎて、全く物語の体をなしていません。余りにも内容が不条理なために、見ていて本当に疲れました。ツッコミ疲れです。

映画は所詮絵空事なので、非現実的な要素があっても一向にかまわないのですが、やはりものには限度があります。一応作品の審級に見合った現実感を保持することは、フィクションにおいても、お約束としては存在するわけで、特にこの映画のように真面目なテーマを扱おうとするならなおさらです。しかし、この映画は、別にメタ映画をしたいために、デウス・エクス・マキーナを丸見えにさせているわけではないので、諸々の不条理描写は、完全に制作側の力不足に起因するとしか言いようがありません。

映像は、PV監督だけあって非常に綺麗と言えば綺麗で、とても6億円で作ったとは思えない大作感があります。この映画は、ほとんど全編CG の背景に、役者だけ合成したCG アニメーションなのですが、CG の制作費用は凄く安くなったんだなあと実感しました。

映像は綺麗で、見応えがありますが、映画全体で言うと、脚本の出来が余りにもどうしようもないので、かなり見るのが辛いものになっています。しかも、この映画は、140分と非常に長いのです。私はDVD で見たので、飽きたら途中で再生をストップして、また気が向いたときに続きから見ることが可能でしたが、これを劇場で最初から最後まで見なければなかった方は、お気の毒だと思います。

この映画は、テーマとしては復讐や憎しみの連鎖をいかに断ち切るかという深刻かつ切実なものなのですが、いかんせん脚本が破綻しているので、テーマ性がどうこう言うのは野暮だろうと思います。憎しみの連鎖を解決する糸口を探るよりも、とりあえず場面と場面をどうやって繋ぐかという映画の基本ができていない事の方が、大きな問題だろうと思います。

映画を観ていて、非常に誠実に、真面目に作っているのは分かりますし、言いたいことや、表現したいことがあるのも分かるのですが、残念ながら製作者に映画を作る基本的な技術が伴っていなかったために、意図せずして不条理映画になってしまっていると思います。監督の映像の才能には天才的なものがあるので、一応何となく最後まで見れて、何となくそれっぽい感じになっていますが、基本的には、非常にエド・ウッド的な映画だと思います。

私のようなすれっからしは、そのエド・ウッド性を楽しんでいるというところもあるのですが、何分作り手が非常に真剣に作っているだけに、周りの人がもう少し何とか助けてあげて、もう少しなんとかならなかったものだろうかと、大変気の毒な気持ちになりました。

(追記)

この映画にかなり多くの人が感動しているようですが、これは、大塚英志風に言えば(きちんと読んでないので適切かどうかは知りませんが)、物語はなくても、構造があれば分かりやすいというやつでしょうか。この作品には、色々な意味で一貫性や統一性がありませんが、戦争は憎しみを反復させるなどの構造は存在するので、それ自体は非常に分かりやすいと言えます。

しかし、考えてみると、そもそもほとんどの観客が求めているものは、物語ではなく、構造なのでしょうから、あれでも十分許容範囲になるのではないかという気もします。