原恵一監督『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』


子供向けアニメにもかかわらず、各地で大絶賛されていたアニメなので見てみました。

このアニメは、20世紀博というテーマパークを主催するイエスタデイ・ワンス・モアという組織が、懐かしいもので大人たちを虜にしたため、大人たちが自分の職務を放棄し、子供を捨てていなくなってしまうが、しんちゃんたちの活躍によって、目を覚ますという話です。

この映画は、冒頭のショットで、1970年の大阪万博の象徴である太陽の塔が出てくることからも明らかなように、1960年代後半から1970年代前半ぐらいに子供時代、あるいは青春時代を送った世代をターゲットにしています。一応子供も楽しめるように、ギャグシーンやアクションシーンもふんだんに用意していますが、基本的には、子供といっしょに劇場を訪れた親世代に向けて作られた映画です。

この映画では、とにかくこの時代の風俗をふんだんに出して、懐かしい雰囲気を演出しています。この風俗描写は、非常に具体的なため、この時代を良く知っている世代には、たまらないものがあるのでしょう。おそらく、この映画が絶賛されたのは、この世代の人たちが、大いに感動したからだろうと思います。

ただ、私などは、この時代に育ったわけではないので、懐かしさというものは感じませんでしたし、あの時代に戻りたいという感情を抱くことはありませんでした。劇中で大人は、あの時代には未来への希望が満ちあふれていたと懐かしむのですが、何故、どのように未来が満ちあふれていたかという説明は特にないので、その時代の雰囲気を知らない私には、余りピンときませんでした。その意味では、この映画は、かなり観る世代を選ぶのかもしれません。

映画としては、子供を楽しませるためのアクションシーンが多く、ストーリーの展開自体は、それほど複雑ではないので、さらっと見れると思います。ラストシーンの野原一家のがんばり、特にひろしの回想シーンとその後のエレベーター前での台詞は、働いているお父さん方にはたまらないものがあるのではないでしょうか。また、しんちゃんが、極端なパースで、手前から奥、奥から手前への高速移動を繰り返している、階段を登る場面のスピード感は素晴らしかったです。*1また、この場面以降、しんちゃんの描線を次第に粗くすることで、勢いの加速としんちゃんの疲弊を演出する手法も見事でした。

基本的には、かなり製作者側のエゴが丸出しになっている、やりたい放題の映画だと言えます。しかし、子供向けの商業作品として求められることも、疎かにしているわけではなく、富野さんがスポンサーから出された様々な制約の中『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』などの作品を作ったのと同様に、押井守が『うる星やつら』でやりたい放題やったテレビアニメ界の伝統に則り、しんちゃんスタッフもまた、自分たちのやりたいことを見事に『クレヨンしんちゃん』というフォーマットで、上手く表現したと思いました。

この映画が作られたのは2001年で、平成不況の最も厳しい時期にあたります。日本全体の雰囲気が非常に切迫し、未来が見えない時期だったので、この映画では、その時代の雰囲気を打ち破るかのように、自分たちの手で明るい未来を作って行くんだというメッセージを打ち出したのでしょう。現在2006年は、すでに景気の回復期に入っており、あの頃ほどには閉塞感がないので、リアルタイムで見るのと、現在見るのとでは、この映画の印象が大分違うのかもしれません。

純粋な豊かさでは高度経済成長の時代よりも、現在の方が豊かなわけですが、それでも「昔は良かった」と思う人が多いのは、やはり今後も経済や科学技術が成長し続けると予想をしていた人が多かったでしょう。やはり、人間の生活、あるいは精神的な満足度を考える際には、絶対的な生活水準ではなく、肯定的な未来予測が成り立つことの方がはるかに重要なのでしょう。

*1:このシーンを見返したところ、背景のパースにはほとんどデフォルメがありませんでした。この場面は、カメラが階段を登るところを撮影しており(つまり、背景の階段が手前から奥へ動く)、しんちゃんがその背景の中を走っています。階段の動画は、おそらく等速度で反復されています。(もしかすると若干反復速度は上がっているかもしれないので、興味がある方は、ストップウォッチで測定してはいかがでしょうか。)にもかかわらずしんちゃんの走りが、次第に加速されているように見えるのは、背景のパースのデフォルメではなく、しんちゃんのパースのデフォルメによります。最初は画面正面で走っていたしんちゃんは、何度も転び、背景の手前から奥へ小さくなっていきます。しかし、再び起きあがり、一瞬でまた画面手前まで戻ってきます。また、階段を登っているので、動きは手前から奥だけでなく、左右、上下でも生じます。しんちゃんが戻ってくるときは、単に奥から手前の動きだけではなく、カーブを曲がる動きも加わります。そのため、しんちゃんの動きは、非常に奥行きがあるように見え、また奥から手前へ戻ってくるときに、非常にスピードが速く感じるわけです。背景の動きが等速度であるにもかかわらず、しんちゃんの走りが加速しているように見えるのは、この縦の動きのコントロールによります。これは、パースや動きを人間の感覚で自由に操作できる、手書きの動画の動きならではのものです。この場面でしんちゃんが、何度も転ばねばならないのは、しんちゃんの走る速度、あるいは勢いをコントロールするためであり、同時に観客にしんちゃんの一生懸命さをより強くアピールするためです。この一生懸命さのアピールは、この後の場面のしんちゃんの決め台詞の印象をより強くするためのものでもあります。しんちゃんが簡単に階段を登り、二人に追いつき、元気にあの台詞を言ったのでは、あれほど言葉に説得力が出ません。そのため、階段の場面で、しんちゃんが何度も転び、ボロボロになることが演出上好ましかったわけです。しかし、あの階段の動きと、しんちゃんの動きのシンクロ度合いは、本当に見事で、演出も凄いですが、あれを作画したアニメーターの方も凄いと思いました。この場面の演出並びに作画は、本当に舌を巻くほどの見事さだったと思います。