黒沢清監督『アカルイミライ』

アカルイミライ 特別版 [DVD]

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私が一番好きなブログである「Freezing Point」で以前紹介されていたので、黒沢清監督の『アカルイミライ』を見てみました。この映画は、社会の華々しい部分から取り残された、負け組の若者や壮年男性を扱った映画です。公開は2002年で、まさに不況のどん底の時期だと言えます。ワーキングプアニート格差社会が話題になる直前の日本社会の変化を切り取った一作だと言えるでしょう。

物語は、こんな感じです。クリーニング工場で働くフリーターのオダギリジョー浅野忠信は友人同士で、共に社会適合者の雰囲気を身にまとった会社の社長に嫌悪感を抱いています。そんとあめ、浅野忠信は、社長一家を殺してしまいます。浅野は部屋でクラゲを飼っていたのですが、会社を辞め、殺人を犯す前に、そのクラゲをオダギリに譲ります。他方、浅野とは長年会っていなかった彼の父親の藤竜也は、刑務所で浅野が自殺した後、火葬場の帰りにオダギリと出会い、オダギリは藤の電化製品の修理工場で働くことになります。

しかし、オダギリは、働きつつも、逃がしてしまったクラゲに餌をやるために奔走し、終いには工場の金に手を着けようとします。そこで、藤に叱責された彼は、家に引きこもりますが、妹に拉致され、妹の彼氏の会社でバイトをすることになります。しかし、彼は全く職場の空気に馴染めず、たまたま出会った不良高校生といっしょに、夜中にその会社に盗みに入ります。高校生たちは警察に補導されますが、彼は逃げ切り、藤のところに逃げ込みます。そして、藤に許しを請い、受け入れられます。その頃、東京の川でクラゲが大発生します。冷静なオダギリに対し、藤はクラゲに夢中になり、毒のあるクラゲを触って昏倒します。しかし、その後も彼らは、疑似家族のように工場で働いてきます。ラストは何故か主人公ではなく、補導された高校生たちが集団で道を歩いている場面で終わります。

基本的には、社会に馴染めない若者が、現実逃避を止めて、自分が生きる現実を直視し、大人に自分を受け入れてもらうことで、社会の中に居場所を見つけるという話だと思うのですが、他方で、そうも言い切れない部分もあります。大人役の藤竜也も、自分が生きる現実を認めたくない気持ちがありますし、クラゲも何の象徴なのか良く分からない部分があります。他にも細部で数多くの仕掛けが施されているので、それらが本筋とどのように関わるのか、私は全部は分かりませんでした。もしかすると一義的な解釈ができるように作られているのかもしれませんが、個人的には、物語のテーマや方向性は必ずしも一方向ではなく、そうそう図式的に解釈できないような、複雑性を観客が感じるように作られた作品なのだろうと思いました。

映像は、デジタルハイビジョンで撮ったようですが、DVDで見る限りでは、フィルムと区別が出来ませんでした。画面は、全体的に彩度を落としてあり、ほとんど白黒に近い場面も多々ありました。また、シーンやショットによって、画面の質感を頻繁に変えていました。

この映画の演出で特筆すべきなのは、不穏な空気の醸し出し方でしょう。基本的にこの映画は生きづらいと思っている人たちの映画なので、この生きづらさ、社会に馴染めない感じを、観客に体感させる必要があります。上で挙げたモノトーンの画面やザラザラした感じの画面は、このような雰囲気を出すためのものです。さらに、通常の会話シーンをわざと手持ちカメラで撮ったり、場面繋ぎをわざとブツリと切れる感じにしたり、ジーという電気の音や、環境音をわざと強調したりしていました。

この映画は、物語には良く分からない部分も多いですし、クライマックスシーンが映画の最後に来ないということで、かなり商業映画の様式からは外れていると言えます。そのため、好き嫌いも分かれようかと思います(私は大好きですが)。ただ、全体的には非常に技術水準の高い映画になっており、やはり黒沢清は半端ない演出家だと思いました。