ヴィオレータ・パラ

チリのフォークローレの歌手にVioleta Parra という方がいたそうです。

35才の時にチリ全土を廻って古い民謡と出会い、詩人パブロ・ネルーダの家を会場に借りて、口伝えに伝承した歌を、ギターに合わせて発表し始めた。やがてそれが話題になってラジオに乗り、40才頃から録音、リサイタルが相次ぎ、彼女の名はそのしわがれた声と共にチリ・フォルクローレの代名詞になった。

有名にはなったが、反抗的な歌で役人や金持ちからは嫌われていたし、金ができると貧しい人に皆与えてしまうので、本人はサンチアゴの街外れに建てた質素なテント小屋に住んでいた。
民謡に自分でメッセージを付けて歌うといった、ビオレータの『新しい歌』運動は、その後ビクトル・ハラに受け継がれていった。

文芸ジャンキー・パラダイス

結局彼女は、1967年に自殺してしまったそうです。(リンク

また、「新しい歌(ヌエバ・カンシオン)」をヴィオレータから引き継いだビクトル・ハラは、アジェンダ政権から軍事政権に移行した後処刑され、他の歌い手たちも追放されていったそうです。(リンク

彼女の代表曲「Gracias a la vida」は、シンプルなギターと歌だけの憂いのある美しい曲です。


Composiciones Para Guitarra

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