ひきこもりの祭典2007 こわれ者の祭典in東北

昨日ご紹介した、「ひきこもりの祭典2007 こわれ者の祭典in東北」に行ってまいりました。会場は仙台メディアテークの1階で、始まった時点ではかなりの人が集まっていました。運営は、ボランティアの方がやっていたようですが、スポットライト二台、リアルタイムでモニターに舞台の様子を映すためのビデオカメラが二台、さらにリアルタイムで字幕を流すためのスタッフもいるなど、イベントは非常に周到に準備されていました。

今回のプログラムは休憩を挟んで前半後半に分かれており、それぞれ一時間半ずつ合計3時間くらいの長丁場でした。今回は、仙台のNPO黒川こころの応援団が主催する「ひきもりの祭典」というイベントに、新潟で活動している「こわれ者の祭典」のメンバーがお呼ばれしたということのようです。

構成は、ステージ上に椅子が並べられ、トークをしつつ、その合間に色々な人のパフォーマンスが挟まるという感じでした。一応司会は、ラジオ局の高橋亜由美さんという方と黒川こころの応援団の小野田豊さんだったのですが、話をどう進めて良いか分からないときには、「こわれ者の祭典」の主催者である月乃光司さんに話がふられ、月野さんがいっしょうけんめいトークを成り立たせようと奮闘するという感じでした。

月乃さんは、イベント慣れしているせいか、話も上手いですし、場の空気を読んで、話を盛り上げたり、客が拍手のタイミングを迷っているときに率先して拍手したりと、八面六臂の大活躍でした。

全体的に、「こわれ者」のメンバーは、空気も読めるし、話しもできるし、パフォーマンスもこなれているなど、人前で表現することになれており、必要なスキルを身に付けているという感じがしました。逆に、地元のみなさんは、非常にガチな感じで、客席で困惑させられたり、どう反応して良いのか困るような場面が多々ありました。

最初のパフォーマーは、地元のケンさんで、二曲ほどアコギを弾いて歌っていました。歌は、母親に対する感謝、そして自分が迷惑をかけたことへの謝罪という感じでした。

次は、月乃光司さんの絶叫朗読でした。月野さんは、以前ひきこもりだったことがあり、その時に着ていたパジャマをステージ衣装にしているそうです。月乃さんは、自分はひきこもりで、アルコール中毒で、精神疾患があり苦しかったが、それらの経験があったから、今の自分があり、仲間と出会えたので、それらの経験も肯定し、感謝しているそうです。

月乃さんが強調していたのは、自分と同じ苦しみを持つ人と仲間になると、苦しみが和らぐということです。これは、今日主演した他の「こわれ者」の方々も強調していたことです。ひきこもりや精神障害者は、他人とは違うということで、社会的に孤立し、白い目で見られ、そのことに苦しむそうですが、仲間ができると、社会的な孤立から解放され、他人からの承認が得られるので、苦しみが和らぐのだろうと思います。すなわち、準拠集団が自分とは敵対的な一般社会から、自分と親和的な「こわれ者」や自助グループに変わることで、メンバーは、苦しみの源泉であった他者からの評価、あるいは他者からの評価を想定したが故の自己嫌悪から解放され、気持ちが楽になるのでしょう。

ただ、ひきこもりから本当の意味で抜け出すためには、仲間を作り、孤立状態から回復した後、上山和樹さんがずっと問題にしているように、経済的に自立する必要があります。月乃さんは、3年ほど簡単な仕事をして、それなりに社会に慣れた後、正社員として仕事を探せば良いのではないかと述べていました。

次は、「こわれ者」のKacco さんが、詩の朗読をしました。Kacco さんは、ゴシックロリータの格好をした男性で、摂食障害やひきこもり経験者だったそうです。身長は高いのですが、足も細く、非常に華奢なので、衣装がよく似合っていました。彼は、子供の頃から普通ではいられず、周りとのズレに苦しんだそうです。しかし、イラストを一心不乱に描くことで、周りの目が気にならなくなっていき、自分が他の人たちと違っても良いと思うようになったそうです。そのため、ありののままの自分を肯定しようという詩を朗読していました。

現実には、ありののままの自分が肯定される機会は社会でほとんどないので、やはりそれを認めてくれる仲間と出会い、彼らの受け入れてもらうことが、生きづらさを和らげるために重要なのだと思いました。

ちなみに、Kaccoさんは、女性のような姿をしていますが、女装癖があるとか、ニューハーフというわけではないそうです。

次に登場したのは、昔からずっといじめられ続けてきたCold Joker さんが、次作の短編物語を朗読しました。普通の喋りは、緊張であわあわしていたましたが、朗読は非常にしっかりしていました。内容は、光に向かって歩く人々が、影に向かって歩きつづける少年に、光に向かって歩こうと誘うが、少年はそれでも闇へ向かって歩きづけるという、両者のすれ違いを描いた話でした。内容は非常に寓意的で、昔の文学作品のような重厚な表現が使われていました。聞いていても、いじめとどう関わるのかが分からないような内容で、その意味で経験が表現として昇華されていると思いました。

次に登場したのが、地元のスマイリー小野さんです。ずっと精神疾患がある65歳の男性だそうで、アコギを抱えて弾き語りで歌っていました。この方は、話しも何を言っているのか聞き取れず、演奏も歌もなんだか良く分からないもので、非常にインパクトがありました。竹久夢二の「よいまち草」という歌を歌ったそうですが、コードも変えずギターを弾き、小声で歌っていたと思ったら突然シャウトするなど奔放な歌と演奏を聴かせてくれました。

前半戦最後は、地元のフリースクールに通っている赤間直人君が、ギターでハイスタンダードの曲を演奏しました。カラオケに合わせて、エレキギターをかき鳴らし、時折コーラスを入れるという感じで、初々しかったです。

また、前半のトークに参加していた障害者プロレスの庄司俊哉さんは、昔大槻ケンジのマネージャーをやっていたそうです。彼によると、芸能人は結構紙一重なところがあるのだそうです。

また、トークの中で、「民間芸能人」という概念が提示され、みんな各々好き勝手に表現すればよい、表現すると楽になるという話も出ていました。

ここまでで前半戦が終わり、後半戦は、ステージ上のメンバーががらっと入れ替わりました。また、前半だけで普通のイベント一回分の長さがあったためか、前半だけで帰ってしまった人も多かったようで、聴衆の数は半分くらいになっていました。


後半戦最初のパフォーマーは、再び月乃さんで、赤間君のギター伴奏で、また別の詩を朗読していました。この詩で月乃さんは、「アルコール依存症でありがとう」と全ての過去や病気に対して感謝を述べていました。面白かったのは、途中で月乃さんが努めている会社の上司を実名でばかやろー、死ねと言った後、でもあなたのおかげで強くなれたと感謝を述べていたことです。仕事でずいぶん怒られることも多いそうで、ムカツク気持ちと、感謝の気持ちの間で葛藤があるのだそうです。

次は、地元の渡邊伯加さんが、親からの束縛や彼氏のストーカー行為から逃れ仙台にやって来て、仙台で二年間ホームレスをした後、再び彼氏に暴力を振るわれ、依存するようになったので、またホームレスに戻りたいというおかしい欲求を持ってしまっていることを述べていました。

次は、「こわれ者」のアイコさんが、詩の朗読と、ピアノ弾き語りを行いました。アイコさんは、ロリータ風のかわいらしいファッションに身を包んでおり、アニメの声優のような声で話していました。詩の朗読の時は、他の人が椅子に座ったり、立っていたのに対し、内股のままペタンと床に座っていました。アイコさんは、祖父に虐待を受け、それを守ってくれなかった父に対する恨みが残っているそうです。また、小さい頃は殺伐とした家族が普通で、「ちびまる子ちゃん」のような家庭は、アニメの中だけだったと思っていたが、現実に存在することに気づいて、高校くらいで愕然したそうです。やはり、詩の朗読も、弾き語りも達者なものでした。

その後、地元の阿部央希さんが、相方とボクシングの真似をするというパフォーマンスを行いましたが、率直に言って何をやっているのか全く分かりませんでした。

次に、やはり地元の阿部哲也さんが、なべやかんについて話すというパフォーマンスを行いましたが、そもそも何故なべやかんなのか、またギャグなのか何なのか全く不明であり、パフォーマンスをどのように受け取って良いのか全く分からず、その余りの不可解さに唖然とさせられました。

次に、「こわれ者」のマチオさんが、昨日までは非常に精神状態が悪く、何も手に着かずどうなることかと思ったが、自分はみんなに支えられているので、何とか仙台に来て、こうして人前で自分の気持ちを話すことができていると語っていました。マチオさんも、家族と良い関係が築けず、家族と別居するようになってから気が楽になったと述べていました。

次に地元のミッキー木村さんが、エレキギターの伴奏つきで、「人間動物園」という曲と「灼熱のロックンロール」という曲を歌いました。後者は、タイトルと異なり、どちらかというと落ち着いた曲だったので、何故ロックンロールなのだろうと思いました。

次に、青森でシンクタンクに勤めているという桐原尚之さんと柴田牧子さんが漫才を行いました。桐原さんは、喋りが達者なのですが、柴田さんは大変挙動不審気味で、喋りもあわあわ終始身体を小さくして、可変的な速度と抑揚で喋っていたので、そのギャップを使ったネタをやっていました。

最初は、練習してきたネタを柴田さんが忘れて、桐原さんがそれを責めるというネタだったのですが、柴田さんが挙動不審気味終始自信がなさそうな態度をしており、喋りの抑揚や速度が安定していなかったので、本当に覚えてきたことが全て飛んだんじゃないかと観客がハラハラするという、非常に際どいところを狙ったネタでした。この時、ステージ上で座っていた脳性マヒブラザーズのDAIGOさんが、無茶苦茶のけぞりながら大爆笑していたのが印象的でした。その後も、桐原さんが突然述べた単語を、柴田さんが反復しようとするが、耳慣れないややこしい単語の時はあわあわしてしまうという、これまた見ていてハラハラするようなネタをやっていました。

そして、障害者関係の単語が連発された後、突然「障害者支援法障害者権利条約」についてパワーポイントを使って説明するという真面目な話しに移ってしまいました。シュール極まりないギャグと真面目な話がシームレスに繋がったため、これはネタの一部なのだろうか、真剣な話なのだろうかと、大いに困惑させられました。これほど受け手にとって、審級の理解が難しいネタはないと思います。私もきちんと審級のズラしを理解しきれなかったところがあったので、その高度なシュールギャグに敗北感を覚えました。

トリを飾ったのは、「こわれ者」のDAIGOさんと周佐則雄さんの「脳性マヒブラザーズ」です。お二人は、新潟で芸人さんに指導を受けるなど、本格的に漫才に取り組んでいるそうです。今回は、桃太郎を題材にしていたネタをやっていたのですが、普通に面白い漫才になっていたので驚きました。漫才のネタは非常にベタで、分かりやすいものだったので、安心して楽しむことができました。司会の高橋さんが、何度も腹を抱えて笑い転げていたのが印象的でした。

この後、フィナーレで壇上に出演者が登り、「昼には太陽 夜は月」という曲を歌って、3時間の長きに渡るイベントは幕を閉じました。

全体としては、イベント経験豊富な「こわれ者」のメンバーのパフォーマンスと余りそういう機会がなかったであろう地元の人たちのパフォーマンスには、根本的な違いがあったと言えます。つまり、観客に理解できる表現を行っているか、そうでないかということです。そのため、「こわれ者」の方々の話は良く理解ができましたし、パフォーマンスも安心して見ていられました。

ただ、こういったイベントは、必ずしも観客のためのイベントというだけではなく、むしろ出演者のためのイベントだと思うので、パフォーマンスが理解可能か否かということは、必ずしも重要ではないとも思います。そういう意味では、定禅寺ジャズフェスティバルやとっておきの音楽祭に共通するところがあると思います。

このようなイベントが、精神障害者が仲間を見つけ、自分の思いを表現し、気持ちを楽にすることに役立つとするなら、それだけで大変意義のあることだと思います。