藤田和日郎『からくりサーカス』

藤田和日郎の大長編少年漫画『からくりサーカス』を読破しました。全43巻の大ボリュームと言うことで、読み応え抜群で大満足でした。この作品は、最初から最後まで恐ろしく複雑な伏線が張りまくられており、しかもそれらの伏線をことごとく解消して完結したという化け物じみた作品です。山田風太郎描くところの滝沢馬琴南総里見八犬伝』が如く、悪玉には正義の鉄槌が下され、善玉にはそれぞれに満ち足りた最期が贈られるなど、勧善懲悪を崩さないその態度も潔かったです。

藤田和日郎は、『うしおととら』『からくりサーカス』と二本続けて数十巻規模の大長編少年漫画を完結させていますが、これは本当に途方もない偉業だろうと思います。少年漫画はいきあたりばったりで、翌週の引きだけで続け、ご都合主義で引き延ばすというのが基本です。そのため、数十巻規模の作品だと、ほとんど整合性や物語、世界観が崩壊したり、ぐだぐだになったり、尻つぼみになって終わるわけです。にもかかわらず、二作連続であれほどの大長編を大きな破綻なくまとめ上げたということは、藤田和日郎が尋常ならざる構成能力を持っていることの証でしょう。

また、『からくりサーカス』を読んで感じたのは、基本的な物語が持つ力の大きさです。この作品では、立派な大人の背中を見て少年が成長し大きくなっていく様や、もし自分が幸せになりたいならば先ず他人のために何かしなければならない、幸せは自分だけでは得られず、他人から与えられるものである、愛する者のために行う無償の犠牲こそが自分を幸せにする、もし他人から愛されたいならば、先ず自分が相手に与えなければならない、もし本当に相手を愛しているならば、自分の幸せを諦めて相手の幸せを優先させなければならないことが執拗に描かれます。

これらの物語は、人間社会を保つために絶対不可欠な基本的な倫理を擁護するものです。こういった基本的な物語は、人間の心を問答無用で動かすと思いました。もちろん現実ではそうそう物語や人間の願望通りには行きませんが、だからこそ、虚構の世界で基本的な物語=倫理が延々と繰り返し反復されることが必要なのでしょう。近年では少年漫画でもそのような基本的な物語の構図が成り立たなくなっていますが、藤田和日郎は、愚直なまでに基本的な物語=王道を守る少年漫画の砦のような漫画家だと思いました。

もう、少年漫画好きにはたまらない展開だらけで名場面も数知れませんが、第25巻のフランシーヌ人形の「べろべろばあ」は、『寄生獣』8巻の田村玲子の最期に匹敵する名場面だったと思います。

途中非常に重い展開もありますが、最後まで終わってみれば、スカッとする大団円と怒濤のカーテンコールが待っています。登場人物もキャラは立っていないけれどキャラクターは立ちまくった魅力的な奴らばかりですし、これほど読み終わった後の満足度が高い大長編漫画もそうそうないですし、文句なしの名作だと言って良いのではないでしょうか。


【MAD】からくりサーカス 〜フランシーヌ人形編〜

グレンラガン風「からくりサーカス」ED



からくりサーカス (1) (少年サンデーコミックス)

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