キャラクターのリアリティー

10年前に惣流・アスカ・ラングレーと出会って以来、何千回とオナニーしてきた俺がついに悟った!

これは

単なる

絵だ


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これは大変有名な2chのコメントですが、余りにも当たり前のことに気づくのに10年掛かったというところが、非常に面白いです。しかしこのコメントは、アニメなどのキャラクターを視聴者が疑似人格として捕らえていることを、非常にはっきりと語っているという意味で、興味深いと思います。

しかし、アニメや漫画のキャラクターが、あたかも疑似人格のように扱われ、語られることは非常にありふれたことです。何故人間がキャラクターにリアリティーを感じるかを考えると、おそらく人間が他者を一つの人格として認識する時の認識方法と、キャラクターを認識するときの認識方法が基本的に変わらないからではないかと思います。

人間は他者に関する断片的な情報を集め、それらの情報を相互に矛盾しないようにつなぎ合わせ、不明な部分は既存の情報から類推、補完し、固有の人格として認識します。しかし、他人について全てを知ることは出来ないので、著しい不完全情報を基に、その個人がどのような人間かを判断しなければなりません。そのため、ある個人が認識するある他者の人格は、その個人が断片的な不完全情報に基づき、想像によって大部分を補完した、想像上の人格に他なりません。

キャラクターもまた、ある個人が、アニメや漫画の断片的な描写に基づき、想像によって大部分を補完した、想像上の人格に他なりません。実在するかどうかは異なりますが、実在する個人も、実在しないキャラクターも、断片的な情報から認識する主体の脳内に構築される疑似人格という意味では変わりが無いとも言えます。

もちろん、実在の人間を認識する場合、特に親しい人の場合には、得られる情報が多くなり、完全情報に近づくため、想像上の疑似人格と実際の人格の間の乖離は次第に埋まっていきます。ただし、どれほど親しくても完全情報は得られないので、その両者が完全に一致することはありません。

また実在はしていてもタレントなどは、メディアを通じてのみ彼らを認識できる大半の人々にとっては、アニメや漫画のキャラクターとほとんど変わらないと言えるのではないでしょうか。

人間の社会生活において他者の思考や行動の理解や予想は極めて重要なので、それらの予想のために、個人に関する情報から思考や行動パターンを導きだす必要があるだろうと思います。それらの断片的な情報から導き出される思考や行動のパターンの束を統合するために、人格という仮想の統合体が必要なのでしょう。

人は、キャラクターという断片的情報の寄せ集めにも人格を見いだし、さらにそのキャラクターの思考や行動パターンを想定し、そのキャラクターならばある状況下でどのように思考し行動するかを自然と予測します。キャラクターは、ある作者が行った様々な描写の断片そのものですので、そのような人格の想定や思考や行動の予測は完全に無意味ですが、人間はそれら断片的な情報の束を一つの人格の下に統合し、「飛影はそんなこと言わない」という感じで、その思考や行動パターンを予測せずにはいられないのでしょう。