ポップスファンの教養主義の崩壊

メルマガ「パトス・ハメ」の「2. 対談連載 DJ TECHNORCH × 冨田明宏同人音楽』 第1回」の中で、以下のような一節がありました。

冨田:
昔から、島宇宙のような聴き方をする音楽ユーザーはいたと思うんです。ただそれは、いくつかの音楽ジャンルをある程度まで極めた、ヘヴィ・ユーザーのなれの果てでした。そのヘヴィ・ユーザーが個人で勝手に島宇宙化していて、他が寄りつけないような孤立した存在になっていると。

ただ今の島宇宙は、ライト・ユーザーの集合がメイン。それは恐らく、知りたい情報の一部分だけピックアップできる“ググる”が確立されて以降の音楽聴取文化=島宇宙化、という気がします。

気になったアンセムがあった場合、手に入れるためにアルバム一枚を 3000円出して買わなくたって、“ググって”視聴する、もしくはケータイで1曲ダウンロードすればいいわけで。しかもそのアンセム島宇宙の共通言語になっていると。

昔は、というか自分がレコード屋でバイヤーをやっていた頃は、「一ジャンル最低 50枚は揃えないとそのジャンルは語れない」とか、「そのアーティストの出しているオリジナル・アルバムすべてを揃えないとファンは名乗れない」とか、「前作との関係性から考えるとこの作品は名盤だ」とか、「パンクから政治性を抜いてしまったらパンクじゃない」とか、コアな音盤文化や、自己のアイデンティティと絡んだ音楽聴取文化が根強くあったし、今も地道にあるけど、それが恐ろしく前時代的なものになってしまった。

それは 90年代後半からすでに肌で感じていた状況ではあったのですが、今は当然、その状況が進行している。つまり島宇宙が無限に増えてしまった。ある意味では、すべての音楽ジャンルがアーカイヴ化されていると言っても良い時代……なのかな。

http://www.voltagenation.com/blog/?p=120


教養主義、つまり体系的な文化の享受が成り立たなくなったのは、音楽だけではないようですので、現代の文化一般に当てはまることなのかも知れません。