トーマス・リーデルスハイマー監督『Touch the Sound』

私は昨年結構沢山の映画を観ましたが、その中で文句無しに最も心を動かされた映画が『Touch the Sound』という映画です。 (英語サイトはこちらTouch the Soundは、スコットランドの耳の聞こえないパーカッショニストEvelyn Glennie が、世界中を旅し、各地で様々なミュージシャンと競演し、演奏する様子を描いたドキュメンタリーです。


彼女は、耳が聞こえないミュージシャンということで、障害を利用したお涙頂戴映画かと思う人もいるかもしれませんが、彼女の障害はこの映画の本質とはほとんど何の関係もない、些細なことだと思います。この映画にとって重要なのは、彼女が優れたパーカッショニストであるということであり、彼女の音楽への接し方だからです。

パーカッションというのは、ものを叩いて音を出す楽器です。しかし、ちゃんとした楽器ではなくても、もちろん叩けば音が出て、リズムを刻むことが出来ます。エヴェリンは、彼女が行く先々で、楽器があろうがなかろうが、そこにあるものを叩いて、即興でリズムを生み出します。

他の人には何の意味も見いだせないようなものでも、彼女はおもむろに叩きだし、それによって新しいリズムを生み出していきます。彼女は何でもないように色々なものを叩いてリズムを刻むのですが、彼女はいつでも、どこでも世界の中に容易に音楽を見つけだしていくのです。

何もないところから、突然音楽が生まれる様が、劇中を通じて、何度も何度も繰り返されます。それによって、優れた音楽家を通して観てみれば、世界は音楽やリズムで満ちていることが明らかになっていきます。


これが観客に伝わるのは、エヴェリンが、いたるところで実際に音楽を見つけだしていたからなのですが、それだけではなく、監督がきちんとそれが伝わるように演出しているからでもあります。。

この映画を撮ったThomas Riedelsheimer トーマス・リーデルスハイマーという監督も、ただ者ではないようです。この監督の映像感覚の鋭さは、冒頭のワンショット観ただけでも明らかです。

映画における冒頭のワンショットというのは、かなり重要なのですが、この映画では、このファーストショットが凝りに凝っています。最初画面に映るのは訳の分からない物体のアップで、観客にこれは何だろうと疑問に思わせつつ、カメラが次第にゆっくりと引いていきます。やがて、それがドラのような巨大な打楽器であることが分かり、カメラはさらに引き続け、最後にその打楽器が真ん中に置かれた、打ち捨てられた工場のような建物の巨大な空間の全貌が見渡せるようになるのです。

そして、これは、エヴェリンが作中でもう一人のミュージシャンと共に、即興演奏を録音する、映画の基盤になるようなスタジオ代わりの建物なのです。非常に意外性のあるワンショットで、これは良い映画になると思ったら、やっぱり良い映画になっていました。

また、この監督は、音楽映画と言うことで、音に対する感覚も非常に優れていました。たとえば、映画の序盤、エヴェリンが空港に降り立つ場面で、人々の足音や、カートを引いたときの音を大きなボリュームで流し、まるで音楽のように聞こえるように演出したところも見事でした。


この映画はTouch the Soundというタイトルですが、このタイトルの意味をストレートに表す場面が劇中に出てきます。エヴェリンが、故郷の学校で、彼女のように耳の聞こえない子供達に、パーカッションを教える場面があります。その場面で彼女は、一人に女の子に、大きな太鼓に触るように言います。彼女はそれによって、耳が聞こえなくても、楽器に触ることで、身体で音を聴くことができることを知るのです。

その教え方は、エヴェリン自身が、彼女の先生から教わったものだということです。音楽やリズムは、ただ耳で聴くだけでなく、身体全体で聴くことが出来ることがこの場面で示されます。


エヴェリンは、世界中を旅し、そこで出会った人たちといっしょに演奏をします。彼女は楽器さえあれば、世界中のどこの人ともコミュニケーションすることができます。即興演奏というのは、本当にコミュニケーションそのもので、楽器を弾けるということは、どれほど自由なことなのだろうと思わされました。

自分の思うがままに音が生まれ、それが他の人たちの音と絡み合い、一つのより調和のとれた音を作り出す。音楽というのは、自分を自由に表現すると同時に、他人と交感できるコミュニケーションでもあるということが、ミュージシャン達の演奏を聴いていると良く分かります。


もちろん、その域に到る前には、楽器を自由に操れるようになるまでの、長い訓練期間が必要なわけです。そのため、私は楽器をいままで習ったことはなかったのですが、この映画を観た後、もの凄く楽器をやってみたくなりました。単に聴くだけではなく、自分で演奏してみたい、彼女達のように、自由に音楽と戯れてみたいと思わせるほど、この映画では、音楽を自分で演奏することは、魅力的に描かれているのです。


この映画を観ると、世界の中にどれほどの音楽の可能性が隠れているのか、音楽を生み出すことが、どれほど自由で、魅力的なのかを、否応なく感じさせられます。見終わった後に、絶対に音楽のことが、今までよりもっともっと好きになる、音楽の本質をガッチリと捕まえた、素晴らしい音楽ドキュメンタリーだと思います。


Touch the Sound [DVD] [Import]

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