連載(2−3)ドイツ語ポップスの今後


ドイツポップスのメインストリームは、正直言って英米、あるいは日本と比べても、かなり後進的だと思います。ドイツのメインストリームポップスの象徴とも言えるスーパースターSarah ConnerJeanette の曲を聴けば一目瞭然ですが、彼らのサウンドは、シンセサイザーとハードロック調のギターからなる80年代風のポップスか、かつてのブリトニー・スピアーズやバックストリート・ボーイズなどの流れを汲む90年代末のR&B 風ポップスです。

しかし、すでに本国アメリカでは、アイドルブームはとっくに終わっていますし、その当事者であったブリトニー・スピアーズジャスティン・ティンバーレークなども、Neptunes などの最新の黒人音楽のサウンドを取り入れています。にもかかわらず、ドイツでは、未だに昔風のサウンドで作られたポップスが作られているなど、アメリカよりもかなりサウンドの変化が遅い、つまり後追いになってしまっています。

ドイツのメインストリームのミュージシャンは、おそらく国際的な活躍がしやすいようにという意図もあり、英語で歌っているのだと思いますが、英語で歌っているようなミュージシャンに限って、現在の国際市場では通用しないような、古色蒼然としたサウンドで歌っていることが多いように感じます。

そのため、個人的には、ドイツ語ポップスニューウェーブによって、インディーロック的な要素を持つミュージシャンが多数浮上してきた今の方が、国際的な成功の確率は高まったのではないかと思います。確かにドイツ語はなかなか受け入れにくいとは思いますが、Wir Sind Helden ウィア・ズィント・ヘルデンSilbermond ジルバーモントJuli ユーリ などのバンドなら、他の国のポップスと並べても、ほとんど違和感はないでしょう。極個人的な感想を言わせていただければ、Wir Sind Helden 以降、ようやくまともに聴けるドイツのポップスが、メインストリームに上がってきたという感じを受けています。

面白いのは、ドイツにおいては、ナショナルな言語で歌われたポップスの方が、インターナショナルな言語で歌われたポップスよりも、音楽的にはドメスティックではない、つまり国際的に通用しそうなところです。実はこれは日本でも同じですが、何語で歌うかと言うことに意識的で、もっと言えば英米と自分との関係を意識的に考えるミュージシャンの方が、音楽的には、ドメスティックな要素から自由で、英米のミュージシャンと同時代的な音楽を作るという傾向があると思います。

それは何故かというと、そういう問題を意識的に考えることが出来るミュージシャンは、たいていの場合、音楽に対する知的探求力が高い、つまり最新の音楽のモードは何か、アンテナを張り巡らせていることが多いからだと思います。彼らは、同時代の他の国のポップスにも精通しているので、それらの音楽と、自分の音楽を対比しながら、より良い音楽を探究していく探求力があるからでしょう。

ドメスティックな市場を意識すると、どうしてもそれまでの売れたポップスを踏襲するという方向に向かいがちになります。すると、当然新しいサウンドに対する探求力は、余り必要ではなくなり、変化の速度が停滞します。そのため、商業性を意識したポップスは、サウンド的には、保守的で、昔風になるのだろうと思います。

ドイツでも、ようやく外国人が聴いても、同時代的に聴こえるようなポップスが、メジャーシーンに登るようになってきました。この最近、特にシングルチャートで、ドイツ語ポップスが不調ですが、それにしてもWir Sind Helden が登場した後の二年で、ドイツ語ポップスをめぐる状況は、劇的に変わったように見えます。果たしてこの傾向が今後も続くのか、それとも80年代初頭のドイツニューウェーブの二の舞になるのかは、まだ分かりません。しかし、現在がドイツの戦後ポップミュージック史の決定的変わり目になる可能性は、それほど小さいものではないように、私には感じられています。