ティム・バートン監督『エド・ウッド』

ティム・バートンが監督した『エド・ウッド』を見ました。この映画は、史上最低と言われる酷い映画を作り続けた才能のない映画監督であるエド・ウッドの映画に掛ける情熱を描いた映画です。

エド・ウッドは、全く才能のない映画監督なのですが、異様なバイタリティーのある人で、口から出任せを言ったり、あの手この手で金を集め、自分の映画を作っていきます。しかし、その映画は、どうしようもない酷いものばかりです。また、周りにいる人も、年老いて落ちぶれた映画スターや、胡散臭い人たち、やる気のない人たちばかりで、全く華々しいところがありません。

非常に安っぽい雰囲気が全編を覆うこの映画ですが、B級を狙っているいやらしさはありません。ティム・バートンにとって、B級的なものは、血肉になっている非常になじみ深いものなのだと思いました。映画の始めと終わりに出てくる、安っぽい街のセットなどは、良い味が出ていました。

映画では普通、華々しいもの、凄いもの、天才的なものが好んで描かれるものですが、この映画では、そういうものは描かれず、むしろ安っぽいもの、しょーもないもの、駄目なものが描かかれます。しかし、才能がない人間も、日々一生懸命がんばっているわけで、エド・ウッドという映画は、そのようなうだつは上がらないが、がんばっている人に焦点を当てた映画になっています。

現実社会ではエド・ウッドは、晩年はアルコール中毒で、辛い晩年を迎えたそうですが、この映画では、エド・ウッドが無茶をやりながらがんばっているところまでしか描かれません。その意味では、結果ではなく、そこに到るまでの過程や製作者の情熱そのものを肯定的に捉えている映画だと思います。

晩年のエド・ウッドを見れば分かるように、結果を出せない人間の末路は悲惨なものになりがちであるのが現実なわけですが、せめて、映画の中でくらいは、情熱そのものが肯定されてほしいと思う人が、世の中の大勢を占めるでしょうから、この映画は、きちんとした大衆娯楽映画になっているのではないかと思います。才能のない人間は何をやっても無駄とか、能無しの馬鹿をせせら笑うという方向で映画が作られたら、ずいぶんと見るのが辛い映画になったに違いないので。