David Cronenberg 監督『Videodrome』

この映画は、ポルノなどのいかがわしいビデオを流す放送局の社長が、ひょんなことからビデオドロームという拷問や殺人が撮影されたビデオの存在を知り、ビデオドロームを通して、現実と幻覚の混じり合った世界に入り込んでいくという話です。

この映画が作られたのは1982年ですので、まだビデオが出始めた時期に作られたということになります。そのため、この映画は、1990年代に多数作られたインターネットものと相通じるニューメディア映画ということになります。

このようなニューメディア映画は、そのメディアのその時代における先進性や希少性に依存した映画ですから、基本的には、そのようなニューメディアがありふれたものになると、内容が古くさく感じられるというところがあります。

この映画でも、ビデオをニューメディアとして扱っている部分は、現在の我々にとっては古くさくて仕方がなく、その意味では、この映画はすでに過去の映画ということになります。

では、この映画が全く見るに値しないかというと、全然そうではありません。むしろ、この映画にとって、例えば人々がより強い刺激を求めることの危険性や、ビデオによって自分の全情報を残そうとした男や、ビデオの試聴によって現実と幻想の区別が付かなくなると言ったメディア論的な要素は、今となっては副次的なものだと言っても良いでしょう。

では、この映画の面白さがどこにあるかと言えば、クローネンバーク監督の奔放な想像力とそれを実現した見事な特殊効果だと言えるでしょう。この映画では、テレビが女性の肉体のように波打ち、テレビの表面に血管が浮き出たり、主人公のお腹が割れて、そこにビデオテープや銃が押し込まれたり、銃が主人公の腕にからみつき、肉と融合してしまうなどの、奇想天外な映像が目白押しなのです。

この監督は、ぬめぬめ、ぐちょぐちょしたものや、無機物と人間の融合がよほど好きらしく、そういう場面が頻出してきます。だいたい、ラストシーンからして、ほとんど脈絡もなく内臓まみれですので、心底こういう映像が好きなのだろうと思います。

これらの描写は、幻覚の現実化というストーリー上の要請というよりは、むしろ気持ち悪い描写をするために、ストーリーが存在すると言っても良いぐらいのインパクトがあります。終盤は、ストーリーも、良く分からないので、余計にそう思えてきます。

しかし、監督の意図はどうあれ、テーマ的にはすでに新鮮味はないので、現在の視聴者にとっては、そういうグロテスクな描写を見て「気持ち悪い」と感じることが、この映画の正しい試聴法ということになるでしょう。おそらく、エロティックなテレビや、諸星大二郎のような無機物と有機物の融合をこれほど嬉々として描いた映画は珍しいでしょうから、そういう意味では、今見ても面白いと思います。