初音ミクとアンドロイド

初音ミクが出てきた当初に、いいかげんな思いつきをメモって、そのまま放置してあったのですが、読み返したら妙なおかしみがあったのでなんとなく晒してみます。話の筋道は立っていませんが、単なるネタなので気にしないで下さい。




初音ミクの動画を観ていて、与太話を思いついたので書いてみます。

ニコニコ動画で、初音ミク関連の動画が、恐ろしく膨大にアップされています。初音ミク関連の動画を見て頻繁に出てくるのが、「3次元いらなくね?」というようなコメントです。つまり、初音ミクがあれば、声優や歌手はいらないという意見です。別に彼らも本気で言っているわけではないでしょうが、かなり本物の人間の歌に近い初音ミクの歌を聴いて、コンピューターソフトでも十分ではないかと思った人は少なくないのではないと思います。

ニコニコ動画に上げられている初音ミク関連の動画で、個人的に一番面白いと思ったのは、現実世界で作られた人型のロボットの映像に、初音ミクの歌を重ねた動画です。何故かというと、これらの人型ロボットは、初音ミクとパラレルなものだからです。




シロクマの屑籠(汎適所属) さんで、以下のような記述があって、興味深いと感じました。

 東浩紀さんは『動物化するポストモダン』のなかで、オタク達の美少女キャラクター消費形態をデータベース消費、という概念で巧みに説明した。この事はご存じの人も多いと思う。美少女キャラクターという「属性の束」から好みの情報片を抽出し、それを芯として想像力と願望に合致した二次シミュラークルを再構成して消費する、というのがこの考え方の要旨だろうというのが、私の理解である。

このような『キャラクターに含まれる属性群→望ましいデータ抽出→想像力や願望をふりかけて二次シミュラークルを再構成→消費』という構図は、美少女キャラクター以外のオタクコンテンツと向かい合う場合にも適用可能な考え方で、事実オタク達はコンテンツから望ましいデータフラグメントを抽出し、それを芯とした願望と想像力のシミュラークルを形成することに長けている

初音ミク――データベース化とシミュラークルへの限りなき欲求

オタクのデータベース消費、二次シミュラークル再構成と消費に対する欲求は、彼らのマンガやアニメ(特にキャラクター)を自分の欲求に適うかたちで、自分の思い通りにコントロールしたいという欲求であると言い替えることができるのではないでしょうか。

つまり、オタクにとって、アニメやマンガを個々の要素に解体し、自己の欲求に適った要素だけピックアップし、改変し、再構成すること、あるいは再構成された二次創作物を享受することは、彼らのコントロール欲求の発露だと解釈できるのではないかということです。

私は、ずっとオタクの二次創作に対する途方もない熱情を良く理解できませんでした。しかし、オタクが二次創作を好むのは、彼らが自分の欲望を満たすためにコントロール可能な客体を欲しているからだと考えると、なるほどと腑に落ちる気がしました。

ただ、このようなコントロール欲求は人類に普遍的なものだろうと思います。人間は自分の周囲の環境、自然や社会制度をコントロール可能にすることで、社会を発展させてきたと言えます。人間は制御や予測不可能なものに不安を感じるものですし、なるべく自分の置かれている環境を了解可能・制御可能にしようとする傾向があるように思います。その結果、人間は自然や社会をよりコントロール可能にするための技術を発展させてきたと言えるのではないかと思います。

ただし、これまでのところ個人が個人を完全にコントロールすることは不可能なままだと言えます。そのため、様々な人間関係、つまり親族、恋人、夫婦、家族、友人、地域共同体、組織においては、多大なコストを費やして、自分以外の人間の欲求を考慮し、意見や利益、感情の摺り合わせを交渉を通じて行う必要があります。

ただし、実際には、個々人は、他者になるべくならコントロール可能な客体であってほしいと思うことが多々あるだろうと思います。そして実際に人間は、往々にして他者を客体として扱い、彼らをコントロールしようと様々な手練手管を使っています。特に最近では、他者をコントロールするための技術が現代社会で利潤を生み、自己の力を強めるという考え方が次第に強まっているようで、交渉・説得術やマーケティング技術、あるいは恋愛マニュアルの本が膨大に出版され、多くの人々が他者をより効率的に正確にコントロールするスキルを身に付けるために多大な努力を払っています。

しかし、他人もまた他人をコントロールしようと手練手管を使ってくるので、他者の完全なコントロールは難しいし、可能であっても大変な労力とリスクを必要とします。また、お互いがお互いをコントロールしようとする傾向が強くなると、まともな人間関係が破壊され、社会秩序が崩壊するなど、副作用とリスクが絶大なので、他者を過度に客体化することは、社会的な倫理によって制限がかけられています。特に、相手を尊重しなくてはならないプライベートな人間関係では、他者のコントロールはより一層困難になります。そのため、基本的には人間はコントロールするのが難しい存在だといえます。

しかし、個人が別の個人に対して抱く欲求が消えることはなく、他者を自分の欲求を満たすために、コントロールしたいという欲求を満たすことを望む人は少なからずいるのではないかと思います。

しかし、生身の人間をコントロールすることは不可能ですので、たとえばペットを人間の代替物にして、利用する人は多いのではないかと思います。ペットには基本的に実用性はないので、ほとんどの人は愛玩用に所有していると思いますが、ペットの良いところは人間と比べると遙かにコントロールを許される領域が大きいところでしょう。

つまり、ペットに対する扱いは、人間と比べると法的、倫理的に制限が少ないので、自分の思い通りにコントロールできる範囲が広く、ペットは自己の欲求を満たすための客体として人間よりも適していると言えます。安らぎを得る、寂しさを紛らわす、かわいさを感じるなどの効用を、飼育のコストが上回った場合、人間とは異なり、ペットは捨てるなり、保健所に連れて行くなりして簡単に処分することができます。また、別のペットが欲しければ、簡単に購入することが可能です。そして、そのようなコントロールの容易さが、多くの人がペットを愛好する理由であろうかと思います。

あるいは、アニメやマンガ、映画のキャラクター、アイドル、ロックスターなども、このような文脈の中で捉えることができるかもしれません。つまり、彼らは、メディア上で構成される仮想のキャラクターであり、それを消費する消費者にとっては、好きなように消費できる完全な客体です。消費者は、限定され選別された限られた情報を使って、足りない情報を推論と欲望によって大胆に補完しながら、架空のキャラクターを自分の脳内で各々好き勝手に再構成します。

生身のタレントの場合には、キャラクターにそぐわない生身の人間の部分が漏れ出てしまうこともありますが、フィクションのキャラクターも生身の人間も消費者の脳内で作られるイメージに他なりませんので、消費者にとっては、彼らはアニメやマンガのキャラクターとそれほど大きな違いはないだろうと思います。

しかし、彼らは、メディアを媒体にして一方的に伝えられるイメージであり、消費者は、想像や妄想など限られた手段によってしか彼らをコントロールすることはできません。消費者がコントロール欲求をより満たしたいと思えば、より一層時間やお金を費やして、より多くのイメージを入手するしかありません。

しかし、メディアから一方的に与えられるイメージに十分満足できない場合、あるいは一方的なイメージの享受だけでなく、能動的にイメージをコントロールしたいと思った場合、自分でイメージを再構成するという二次創作をする必要があるだろうと思います。この二次創作が、アニメ、マンガ、ゲームでは、すでに当たり前の楽しみ方になっていることは、コミックマーケットの途方もない規模を見ても確かだろうと思います。

そのため、オタクの二次創作に対する途方もない熱情は、人間のコントロール欲求の強さの発露であると解釈ができるでしょう。その際、彼らにとっては、作品の物語=世界観を自分の世界観と適合させたいという欲求よりは、キャラクターに対する熱情の方が遙かに強いように見えます。そのため、二次創作を通じて彼らがコントロールしたいと思うことは、彼らの持つ理想的な異性のイメージなのでしょう。その際、キャラクターの理想像は、往々にして現実の人間とはほとんど無関係に、マンガやアニメの中で綿々と反復されてきた様々な要素の組み合わせによって作られるのだろうと思います。

2chニコニコ動画のコメントを見ると、男性オタクが、自分が好きなキャラクターを恋人や配偶者にしたい、あるいはそのキャラクターと性交したいという率直な欲求を表明することは珍しくないので、萌えの疑似恋愛的側面は否定できないでしょう。私は良く知りませんが、女性のオタクも、二次創作で、好きなキャラクター同士の性交を好んで描き、好んで消費するようなので、やはりやおいにおいても疑似恋愛的な側面はあるのでしょう。

彼らは、マンガや小説などの二次創作で、自分の好きなキャラクター=異性やキャラクター同士のコミュニケーションを、自分の欲求に適うかたちで再構成しています。ただし、このような性愛あるいはコミュニケーションをコントロールにしたいという欲求自体は、人間の普遍的なコントロール欲求の現れであり、オタクに限らないだろうと思います。

現代では、恋愛関係は、かなりの程度娯楽的に捉えられているように思います。寂しさを紛らわせるため、性欲を満たすため、他者からの承認を得るため、あるいは恋愛時の高揚感を感じるためなど、恋愛をする理由は人それぞれでしょうが、恋愛は何らかの制度や社会的強制に基づくのではなく、個人間の自由な意志と欲求に基づき行われるものですので、コストと効用を秤に掛けて行う自由な行為であると言えます。

かつては恋愛と結婚が密接に結びついたので、恋愛は社会的経済的地位と密接に結びつく実利的な行為であるという性格が強かったと思いますが、現在では恋愛と結婚は切り離され、実利的な行為という性格をほとんど失っているので、恋愛行為は何らかの感情的な効用を得るための娯楽という性格が現在では強いように思います。

しかし、恋愛では、コントロール不可能な他者と密接な関係を結ばざるを得ないために、費やさねばならないコストや引き受けなければならないリスクは非常に高いと言えます。恋愛では、相手が自分の気に入らないことをしても、関係を継続したいと思えば、我慢しなければなりません。また、相手に深く感情移入する行為であるため、相手の行為によって自分の行動や精神状態が大きく左右されたり、別れの際に大きな苦痛を味わう危険性もあります。

コントロール不可能な他人から大きな影響を受ける状態である恋愛では、継続的に自分が欲する効用を得ることは容易ではなく、コストが効用を上回る場合も多いだろうと思います。そのため、恋愛関係は割に合わなくなることも多く、関係が解除されることが頻繁に起きます。しかし、恋愛から得られる効用は非常に大きいので、コストやリスクが大きいにもかかわらず、多くの人は恋愛を行っています。

このように恋愛は自己のコントロールが及びにくいものですので、現在はそのようなコストを引き受けることが必要であるわけですが、おそらく多くの人は、恋愛においても関係を自分の欲求に適うようにコントロールしたいと思っているだろうと思います。つまり、自分の恋愛相手を、自分の思い通りにコントロールしたいと思っているだろうと思います。

ただし、実際に相手をコントロールしようとすると、多くの場合は恋愛関係自体が破綻しますので、これは極めて困難であると言えます。そして、不可能であるからこそ、多くの人は恋愛のコントロールを諦め、コストとリスクを引き受け、相手と上手く関係を続けていくために多大な労力を費やさざるを得ないわけです。

他方、コントロール可能な恋愛の代替物としては、キャバクラなどの風俗、または恋愛ものの映画や小説、ドラマ、アニメ、ゲームなどがあります。しかし、恋愛は人間同士で行うものであり、なおかつ全人格的なものなので、それらの代替物は、コストやリスクが低い代わりに、効用も低くすぎ、十分な代替物にはならない場合がほとんどだろうと思います。

しかし、自分の欲求を全て満たすことが出来る他者、特にコントロール可能な恋人に対する需要は莫大だろうと思います。恋愛というかたちで、精神的に高揚したいという気持ち、寂しさを紛らわせたいという気持ちを十分に満たす商品はまだ登場していないので、将来有望な超巨大潜在市場だと言えます。そして、そのような欲求を満たすための商品を発売するための技術的解決策が、アンドロイドになるのではないかと思います。

人間というのは多様な機能を持っている存在ですが、アンドロイドやロボットは、用途に応じて人間の機能の一部を果たします。そのため、機能毎に様々な種類のアンドロイドやロボットが生みだされるわけですが、恋愛機能あるいは愛玩機能を備えたアンドロイドもいずれ生まれるのではないかと思います。

すでに、人型ロボットは、大分人間に近いところまで来ているようですし、現在も急速な早さで技術が進んでいるようです。アンドロイドは工業製品ですから、技術が成熟し、大量生産する段階まで来れば、急激にコストが下がるはずです。人型となると大きいので原材料費はある程度以上は削減できないかもしれませんが、いずれは個人が買える価格で、愛玩用アンドロイドが買える時代も来るでしょう。

生身の人間と違って、自分に従順で、外見や性格も自分の好みで選べるアンドロイドに対する需要はかなり大きいのではないでしょうか。現実の恋愛で、長期間に渡って相手に不満を覚えない人は稀でしょうから、そのような我慢をして恋愛を続けるよりは、現実の恋愛の面倒を避け、恋愛の楽しい部分だけを享受したいと思う人は少なくないでしょう。そのため、生身の人間と恋愛をするよりも、アンドロイドを購入しようと思う人の数は少なからずいるのではないでしょうか。

また、望みが高すぎるため、パートナー探しが面倒なため、あるいは能力不足のため、現実の恋愛をしない人々も、恋愛のコストとリスクが大幅に下がり、気軽に恋愛の効用が享受できるようになれば、商品の購入者として見込めるだろうと思います。

これまで恋愛は私的な行為であり、余り商業的なサービスとは直接結びつかなかったわけですが、恋愛用アンドロイドが商品化されれば、かなりの程度商業化可能になるのではないかと思います。恋愛欲求自体はほぼ全ての人が持っているものでしょうから、恋愛が商品化できれば、潜在的な消費者の数は無尽蔵であり、途方もなく巨大な市場が生まれるのではないかと思います。その意味では、人型ロボット・アンドロイド開発は、今は直接的には余り役に立たないように見えて、実は将来超巨大市場を生み出す潜在能力を持っているのかもしれません。

また、現在家族の紐帯が解体されつつあり、単身家庭が増えています。おそらく、将来はますます増えるでしょう。人間は社会的欲求を持っているので、配偶者を亡くした独居老人、元々配偶者を持たない独居老人、家族と同居しているが関係が上手く行っていない老人、未婚の独身男女など単身で居住している人たちの中には、他人と親密なコミュニケーションを行う機会が持てず、十分に社会的欲求を満たすことができない人の中にも、アンドロイドを購入しサービスを消費したいと思う人が多いでしょう。

ただし、このような単身者は、貧困層である場合も多いので、アンドロイドの価格と維持費がかなり下がらないと購入できない人も多いかも知れません。廉価版アンドロイドが、貧困層でも何とか手が出せるような価格で発売されるようになるならば、市場は途方もなく巨大であろうと思います。

また、社会的になかなか許容されない特殊な性癖を持っている者が、そのような反社会的な欲求を満たすために、アンドロイドを用いることも可能だろうと思います。そのような場合、倫理的な問題が生じますが、少なくとも製品化されてしばらくはアンドロイドは法的には所有者の財産であり続けるでしょうから、そのような使用方法は避けられないだろうと思います。

他方、恋愛や私的な人間関係のようにそれまで金銭によって媒介されていなかった関係やサービスがアンドロイドという商品、つまり金銭によって媒介されるようになると、より地縁や血縁などの伝統的な人的紐帯が解体され、合理的な個人が金銭を通じて社会や他人とコミュニケーションを取るという傾向がより一層進むことになるでしょう。

社会の個人化が進むと、孤独感を感じる人の比率が増え、寂しさを埋め合わせたいという需要は増大するでしょうから、恋愛用や愛玩用アンドロイドに対する需要は益々高まるだろうと思います。そして、アンドロイド市場が急成長することで、人類は短期的にはさらなる経済発展を遂げ、益々豊かになるのではないでしょうか。

他方、恋愛が商品化されると、恋愛や結婚をする際のコストとベネフィットの収支に対する意識が高まり、生身の人間と恋愛・結婚する人は減ることでしょう。その結果、子どもを生むという再生産行為が減少し、人口は益々減少するのではないかと思います。人口減少率が生産性の向上率を上回れば、長期的には市場規模は収縮し、経済は停滞・衰退に向かうことになるだろうと思います。技術進歩と合理主義的思考の浸透が人口減少を加速させるとすれば、それを留める術はないだろうとおもいます。

また、アンドロイドによって寂しさや人恋しさが紛らわせるとすれば、わざわざ煩わしい家族関係や友人関係を継続して結ぶことに対するコスト意識も高まるでしょう。そのため、様々な人間関係はより功利的な性格が強くなる、つまりコストとベネフィットを天秤にかけ、ベネフィットが見込めないと判断したとき、即座に人間関係を解除する、あるいはベネフィットを得られそうにない人間とは最初から人間関係を結ばないという傾向が強まるのではないかと思います。

生身の人間はコントロール不可能ですし、消費不可能なので、よりコントロール可能な環境を作るために、アンドロイドを通じて人間を代替的にコントロールし、消費したいという欲望は、技術の進展と共に次第に顕在化するような気もします。そして、生身の人間よりも、その代替物と関係を結ぶ方がより多くの効用を得られると、社会のかなり比率の人々が感じるような社会も、そのうち実現するかも知れません。

その意味では、いずれみんながコントロール不可能な他者と直接的な関係を結ぶことを避けるようになり、自分が全てをコントロールすることができるアンドロイドを通じて、間接的に他者と結びつくという、現在とは全く異なった社会の一体性が生まれるのかも知れませんね。もちろん、その際には、人口の再生産が最大の問題となるだろうと思います。

私はSFに詳しくないので知りませんが、このようなアンドロイド問題は、多分すでに無数のSF作品で論じ尽くされているのでしょう。

いずれにせよ、オタクは自らのコントロール欲求を、従来は紙の上に絵を描くことで満たすしかなかったのに、THE IDOLM@STERや3Dソフトウェアでモニター上でコントロール可能な少女の身体を創ったり、初音ミクによってコントロール可能な歌声を手に入れることによって、従来よりも遙かにリアリティーがあるかたちで、自分たちの欲望に合うようにコントロール可能な客体を楽しむ手段を手に入れたと言えます。しかも、You Tubeニコニコ動画という他の人間に対し手軽に成果を発表出来るメディアのおかげで、さらなるコミュニケーションを行うことが可能になり、みんなで欲望を共有できるのも楽しいですね。

いずれは、よりリアリティーがあり、より自己の欲求を十分に満たすことができるアンドロイドが開発され、量産されることで、本当にオタクが、ミクやハルヒを嫁にしたり、ルルーシュやキラを婿にする日が来るかもしれません。もちろんその時は、オタク以外の人々が、長澤まさみ蛯原友里(の機能相当物)を嫁にしたり、木村拓也オダギリジョー(の機能相当物)を婿に出来るようになっているわけです。あるいは、長山洋子を娘(の機能相当物)にしたり、ヨン様を息子(の機能相当物)にしたりすることもできます。しかも、性格も自分が思うとおりにカスタマイズができ、今日はツンデレ、明日はヤンデレと色々なパターンのコミュニケーションを楽しめ、相手をしたくないときはスイッチを切っておけば良いという優れものです。そのため、これらのアンドロイドは、本物以上に消費者の願望に合致した恋人や友人や嫁や婿や娘や息子だと言えるでしょう。

嫁や婿、あるいは友人・親族の機能の一部が、アンドロイドによって十分に代替されるならば、多くの人にとってコントロールが難しい=効用を得るためのコストが高い本物の人間とコミュニケーションを行うメリットや必然性は減少し、「3次元イラネ」な度合いが高まるのかもしれませんね。

いずれにせよ、初音ミクを使って、もの凄い勢いで自分たちの欲求を満たそうとして、ありとあらゆる手練手管を使い猛烈に楽しんでいる、ニコニコ動画の諸氏を見て、私が思い浮かべたのは、このような与太話でした。どっとはらい