富樫は案外さぼってなかったのかも

長期休載からまさかの復活を遂げ、その後も休載を繰り返している冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』ですが、先の予想が全く出来ない展開には、かなりワクワクさせられます。この圧倒的な引きの強さは、他の漫画の追随を許さず、ジャンプ王道の少年漫画を描かせて富樫の右に出る者はいないと思わされます。

長期休載後の『HUNTER×HUNTER』で富樫がやっていることは、多数のキャラクターの思惑と行動が入り乱れる様を、可能な限り詳細に描き出すことです。つまり、群像劇をやっているわけですが、王、コムギ、ピトー、プフ、ユピー、ヂートゥ、ブロヴーダ、ウェルフィン、ネテロ、ゼノ、モラウ、ナックル、シュート、ゴン、キルア、メレオロン、イカルゴという17人のキャラクターそれぞれの視点から、王宮での戦いを描き出しています。

読者は神の目から全体を俯瞰的に眺めていますが、個々の登場人物は、それぞれに異なった限られた情報しか知りません。そして、その限られた情報を元に、自分の目的の遂行のために、可能な限り合理的に(ヂートゥ以外ですが)行動を行っていきます。ある登場人物の起こした行動が、別の登場人物の思わぬ行動を引き起こしたり、これらの多数の登場人物の思惑と行動は、極めて複雑に絡み合い、事件は進行していきます。

これだけ多数の登場人物の行動や思惑の相互作用を描くのは、それだけで人間離れした技量を必要とするはずですが、富樫はさらにこれらの複雑な相互作用を、時系列を前後させながら描き出していきます。そのため、突入からどれくらいの時間が経ったのかが記載されている部分もあるのですが、それにしてもこのような展開は余りにも複雑です。

そのため、おそらく富樫は、この戦いを描くために、事前に最初から最後までのタイムテーブルを作り、個々の登場人物が突入後何秒・何分に何を行うかを、全て決めているはずです。しかし、このタイムテーブルを作るときにも、彼は、個々のキャラクターがその時点でどのような情報を持ち、どのように状況判断をして、どのように行動するかを、全て考えなければなりません。しかし、個々のキャラクターの行動は、状況の変化を引き起こし、別のキャラクターの行動を引き起こすので、常にどのキャラクターのどの行動によって、状況がどのように変化し、その状況の変化がどのキャラクターの行動に影響を及ぼすかを考えなければなりません。

これは想像するだに恐ろしい複雑な思考を要求するはずです。しかし、この極めて複雑でややこしい相互作用を、読者に分かりやすいように、整理した形で描写しなければなりません。つまり、タイムテーブルを作り終わっても、それらの複雑な相互作用を、どのような順番で描写するかを決めなければなりません。17人のキャラクターの思惑と行動を、読者に分かりやすく伝え、なおかつ読者が先を読みたくなるように、その後の展開が気になるような様々な謎を散りばめながら事件の推移を描写することは、かなり尋常ならざる論理構成力がないと不可能だろうと思います。

このような作業を考えると、富樫の脳味噌は、良く焼き切れないものだと感心したくなります。このような複雑な相互作用は、当然の事ながら週刊連載でその場で考えながら書けるものではありません。極めて綿密な事前準備が必要になるだろうと思います。そう考えると、富樫が一年半休載したのは、この極めて複雑な戦いを、矛盾なく描ききるための準備に必要だったからと、好意的に解釈できるのではないかと思わないことはないです。

いずれにせよ、現在富樫が挑んでいるのは、多数の登場人物の思惑と行動の相互作用を、それぞれの登場人物の主観を通じて、可能な限り緻密に描き出すという、極めて野心的な試みであると思います。その描写は、時間の文節が秒を下回ることがあるほどに緻密なので、これを描ききることは、人間の論理構成力の限界に挑戦することだと言えるかも知れません。この戦いは、いつ終わるか分かりませんし、そもそも本当に終わるまで連載が続くかも分かりませんが、色々な意味で先を読むのが本当に楽しみです。



HUNTER X HUNTER25 (ジャンプコミックス)

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