初音ミクの分裂

1. はじめに

私が「主体は『初音ミク』ではなくプロデューサーさん」を書いたとことに端を発し、id:GiGirさんが「初音ミクという神話のおわり」を書いたことで、初音ミクに対する人々の意識が変化していることが、ネット上の極一部の人々の間で知られるようになってきたように思います。

この変化とは、聴衆が、初音ミクVOCALOID を使った楽曲を聴く際に、キャラクターよりも、楽曲を作る作者に注目して楽曲を聴く傾向が強まったというものです

ただし、聴衆の関心の方向がキャラクターから作者へと変化したことは、初音ミクVOCALOID という現象全体を説明するものではなく、あくまで楽曲の視聴の仕方を説明しているに過ぎません。しかし、初音ミクVocaloidという現象の全体像を俯瞰するためには、音楽だけでなく、キャラクター的な側面も考慮に入れなくてはならないでしょう。そのため、今回はこれまでとは異なり、初音ミクという現象の音楽的側面とキャラクター的側面の両方を俯瞰してみます。ただし、私は初音ミクのキャラクター的側面にはほとんど関心がないので、記述は最低限しかしておらず、音楽に関する記述が主になることをご容赦下さい。

なお以下では、括弧ありで「初音ミク」と表記するときには、DTMソフトウェアのことを指し、括弧なしで表記するときには、キャラクターあるいはDTMソフトとキャラクターの複合的性質を持ったものを指します。



2.「初音ミクという神話」の誕生


2.1. 「初音ミク」の二つの側面 〜DTMソフトとキャラクター〜


初音ミク」は、クリプトン社が発売した音声合成ソフトウェアです。そのため初音ミクは、本来は音楽制作に使う道具です。

しかし、「初音ミク」というソフトウェアのパッケージには、「初音ミク」をキャラクターとして擬人化したイラストがつけられていました。このイラストで、初音ミクは極度に長いツインテールという髪型、緑色という髪の色、先が広がった袖、緑色のネクタイ、黒と緑のミニスカート、黒いニーハイソックスなど、印象的な視覚的要素の組み合わせによって表現されていました。

このような強い印象を与える特徴的で記号的な萌え要素によってキャラクターを作るというデザイン方法は、極めてオタク文化と親和性が高いものです。そのため、初音ミクは、DTMソフトという道具として使われ、認識されると同時に、萌え要素によって図像的に構成される萌えキャラクターとして使われ、認識されることになりました。

ただし、初音ミクには、詳細な設定は与えられていなかったため、発売当初の初音ミクは基本設定と図像から成るキャラクターであったと言えます。



2.2. DTMソフトととしての性格とキャラクターとしての性格


このDTMソフトとしての「初音ミク」とキャラクターとしての初音ミクは、本来は相互に独立した別のものです。しかし、ニコニコ動画では初音ミクのこの二つの側面は、多くの視聴者、あるいは初音ミクのユーザーにとって不可分のものであるとみなされるようになりました。

つまり、DTMソフトが再生している音声は、初音ミクという架空の人格=キャラクターの歌であると多くの人々が感じることで、初音ミクは単なるDTMソフトではなく、萌えキャラクターとして多くの人々の関心を集めました。そして、初音ミクをキャラクターだと見なした人々が、キャラクターを通じたコミュニケーションをニコニコ動画上で行った結果、初音ミクは大きな注目と人気を集め、初音ミク関連の動画が爆発的な勢いで発表されることになりました。

初音ミクがキャラクターとして認知されるようになった過程は、以下のようなものではないかと私は想像しています。

先ず人気が出た大前提として、「初音ミク」が、多くの人々にとって技術的なインパクトを持つソフトウェアであったことが挙げられます。「初音ミク」は、音声合成ソフトらしい不自然さが非常に小さい、自然な歌を制作できるソフトウェアです。合成音声ソフトを使ってこれほど自然な歌を制作することが出来るとは、多くの人は思っていなかったため、その歌声を聴いたときに衝撃を受け、関心を引かれた人が数多くいたと思われます。

しかし、このような技術的衝撃そのものは、多くの場合一部の好事家にしか届きません。この技術的衝撃を、より多くの人々に認知させ、なおかつ「初音ミク」を使った動画を見たい、「初音ミク」を使った動画を制作したいと多くの人々に思わせたのは、初音ミクがそのイラストによって、キャラクターだと見なされたからだろうと思います。

ニコニコ動画では、音声だけでの投稿はできず、「初音ミク」を使って制作した楽曲や音声には映像をつけないとならないので、初音ミク関連の楽曲を動画としてアップする際に、多くの人々が初音ミクのイラストをつけていました。人々は初音ミクというキャラクターのイラストを見ながら音声を聴くので、初音ミクというキャラクターが歌っていると感じやすかったと思われます。

また、動画にイラストがつけられることで、初音ミクというキャラクターの図像的特徴が多くの人々に知られ、初音ミクの歌声だけでなく、図像に魅力を感じる人が出てきました。特に初音ミクは、記号的な萌え要素の集まりという、極めて視認しやすい、つまり描いてみたいという人々の欲望を喚起しやすいデザインをされていたため、多くの人々がイラストや3D CGで、初音ミクの図像を制作するようになりました。

特に「初音ミク」を用いた楽曲を使った3D PVの中で動き回る初音ミクの姿は、単なるイラストよりも生々しい存在感があるために、人々はその楽曲で使われた初音ミクの声と姿を結びつけ、「初音ミク」の声と図像を架空の人格=キャラクターを構成する不可分の要素だと感じるようになったと思われます。

このキャラクター的な要素が人々をいかに引きつけたかは、「初音ミク」発売直後の2007年9月4日に公表された「VOCALOID2 初音ミクに『Ievan Polkka』を歌わせてみた」の爆発的人気から伺うことが出来ます。この動画では、初音ミクのイラストの萌え要素を再構成して作られたデフォルメキャラクターが、コミカルな曲に合わせてネギを降っています。


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この動画から、「初音ミク」というソフトウェアの発売直後から既に、初音ミクの図像がキャラクターデータベースに基づき再構成されていたこと、視聴者によって「はちゅねみく」という派生キャラクターや「ネギ」という持ち物が初音ミクのキャラクターデータベースに追加されたこと、初音ミクというキャラクターが「Ievan Polkka」という既存の人気MADの題材と結びつけられ、MAD文化、あるいはニコニコ動画の文化の中に位置づけらていたことが分かります。



2.3. 自己言及曲によるキャラクターのリアリティーの上昇

しかし、おそらく初音ミクがキャラクターとして人々に捉えられるようになるために、最も大きな影響を与えたのは、初音ミクの自己言及を歌詞にした楽曲だったろうと思います。初音ミク発売直後2007年9月13日に発表され大きな注目を集めたOster Projectさんの「恋するVOC@LOID」を嚆矢として、9月18日に「あなたの歌姫」が公表されるなど、その後初音ミクの自己言及を歌詞にした曲が次に次に公表され、爆発的な人気を得ることになります。


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その頂点であり象徴が、9月20日に公表された「みくみにしてあげる」です。この動画は、現在に到るまで全ての初音ミク動画最大のヒットであり、初期の初音ミクのイメージを決定づけたといっても良いほどの影響力を及ぼした動画です。


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この後、9月25日に「Packaged」、10月9日に「タイムリミット」、10月10日に「えれくとりっく・えんじぇぅ」、10月14日に「ハジメテノオト」、10月22日に「私の時間」と「初音ミクの暴走」など、自己言及的な歌詞を持つ曲が、爆発的なアクセス数を稼ぎ出していきます。これらの楽曲では、あたかも初音ミクが自分のことを歌っているかのように擬勢した歌詞が付けられているので、視聴者は、初音ミクがあたかも人格を持つかのように感じるようになっていきます。

この過程は、井手口さんの「萌えのマトリックス」を使うと、以下のように言い換えが可能であろうと思います。

この自己言及曲は、井手口さんの「萌えのマトリックス」では、萌えソング=キャラクターソングであるA (内在的萌え要素有、外在的萌え要素有) とB (内在的萌え要素無、外在的萌え要素有) に当たります。

このようなキャラクターソングが大人気を博することで、初音ミクは、自らがソフトウェアであることを自己認識し、時には不安に思い悩んだりする「自我」「内面」を備えた、架空の人格であるかのように受け取られるようになっていきます。

そして、多くの人々によって、初音ミクが架空の人格であるキャラクター、つまり主体として受け取られるようになったため、DTMソフトである「初音ミク」の合成音声は、初音ミクのキャラクター性と不可分のものだと見なされるようになったと思われます。そのため、「初音ミク」の合成音声は、初音ミクのキャラクターデータベースを構成する萌え要素だと見なされれるようになり、直接的には内在的萌え要素、外在的萌え要素を含まないオリジナル曲やカバー曲でも、初音ミクの声という萌え要素を含む、「萌えマトリックス」のBに属するキャラクターソングだと見なされるようになったと言えます。

そして、初音ミクをキャラクターとして捉える人々が、この初音ミクのキャラクターとしての性格を知らない者にとっては、「萌えマトリックス」のC (内在的萌え要素無、外在的萌え要素無) に属する曲を、Bに属すると受け取っていた状態が、「初音ミクという神話」が成り立っている状態だと考えることができます。

いずれにせよ、2007年10月頃には、ニコニコ動画の多くの視聴者は、「初音ミク」を使って作られた楽曲をあたかも初音ミクという架空の人格が歌っていると捉えるようになっていたと考えられます。このブームの初期は、初音ミクに最も注目が集まった時期なので、初音ミクに関するこれまでの論考の大半はこのようなイメージを前提にしていると思います。

しかし、「初音ミク」の合成音声=歌によって代表されるDTMソフトという性格と図像や設定によって代表されるキャラクターという性格は、本来相互に結びつく必然性がないものです。そのため、この両者が結びついて作られた初音ミクという架空人格=キャラクターは、時が経つに連れて分裂していくことになります。

そのため以下、歌う架空人格としてのキャラクターであった初音ミクが、DTMソフトとキャラクターに再び分裂していったかの過程を見ていこうと思います。




3. DTMソフトとしての「初音ミク」:キャラクターから道具・環境へ


3.1. 自己言及曲からオリジナル曲への視聴者の関心の移動

しかし、初音ミクを疑似人格としてのキャラクターたらしめた自己言及曲の流行は2007年の10月で頂点に達しました。既に前章で見たように、初音ミクの代表的な自己言及曲は10月中に出尽くしており、その後自己言及曲が爆発的な人気を集めることがなくなりました。

その代わりに次第に投稿数が増え、多くの人の注目を集めるようになっていったのは、初音ミクの自己言及を歌詞としないオリジナル曲です。

初音ミク」が発売された当初は、ニコニコ動画に投稿される初音ミク関連の動画はカバー曲ばかりで、オリジナル曲はかなり少なかったと記憶しています。また、オリジナル曲でも注目されたのは、初音ミクのキャラクター性を強調した自己言及曲ばかりでした。

しかし、ニコニコ動画初音ミクが人気になり、ネット上で広く認知されるようになってくると、MUZIEなどで楽曲を公開したり、一人でDTMを行っていたアマチュアミュージシャンが、「初音ミク」を使ったオリジナル曲を公開するようになっていきます。

彼らはDTMソフトとして「初音ミク」を使い、内在的にも外在的にもキャラクター的要素のないオリジナル曲をニコニコ動画で発表していきました。現在は技術の進歩により、DTMでもプロと遜色ない音源を制作することが可能であるため、彼らが公開した楽曲の中には、多くの視聴者を引きつけるだけの魅力があるものが数多く含まれていました。そのため、「初音ミク」を用いて作られたオリジナル曲が、次第に人気を集めるようになっていきます。

2007年11月以降自己言及曲で大ヒット作が出てこなくなると、次第にオリジナル曲が目立つようになってきます。私の主観的な認識では、既に12月はじめにはかなりオリジナル曲が目立つようになってきたようです。「メルト」が爆発的なアクセス数を集めることができたのは、その前に次第に自己言及曲でないオリジナル曲が認知されるようになっていたため、ニコニコ動画の視聴者がキャラクター的要素のないオリジナル曲を受容する準備が整っていたからだろうと思います。

標本が偏っているので信頼できるデータではありませんが、「ぼかさち」のデータを見ると、元々「初音ミク」を使った楽曲に占める自己言及曲の割合は10%程度で、2008年秋頃まで余り変わっていなかったので、自己言及曲が注目を浴びなくなっていったのは、自己言及曲を作る作り手の比率が減少したためではなく、視聴者の関心が変化したからだと推測されます。この点に関してはまだ信頼できる調査が行われていないので、きちんとした統計調査の実施が望まれます。

自己言及曲に対する視聴者の関心の変化は、ぼかさちさんが行った「週間VOCALOIDランキング」に占める初音ミクの自己言及曲の数と比率の調査によって明らかになりました。

初音ミクの自己言及曲はオリジナルとアレンジではあまり差がない自己言及曲のほとんどは完全オリジナル曲である。)
初音ミクの自己言及曲が極端に減少する月とそうでない月が存在する。
初音ミク以外のVOCALOIDの自己言及曲は減少傾向にある


グラフで見る週刊VOCALOIDランキングと初音ミクの自己言及曲

この調査によれば、ランキングに占める自己言及曲の比率は、全体的には下降傾向にあったものの、月によって上下していることが分かります。ただし、2008年10月以降はランキングに上がる自己言及曲がほとんどなくなっているので、自己言及曲はほとんど注目を浴びなくなっていると考えられます。

この調査はランキングに上がった自己言及曲の数と比率だけを集計しているため、実際の視聴者の関心や注目をそのまま反映しているとは言えません。というのは、アクセス数やマイリス数が異なる楽曲も、同じように扱われているためです。しかし、視聴者の関心や注目は極一部の動画に集中する傾向があることから、ランキングに入った全動画の全アクセス数やマイリス数のうち、自己言及曲のアクセス数やマイリス数がどれくらいの比率を占めていたかを検証した方が、より正確に自己言及曲に対する視聴者の関心や注目の度合いの変遷が把握できるだろうと思います。これについても、今後の調査が待たれるところです。



3.2. 匿名から、プロデューサー/作者名の表示へ。

ニコニコ動画」は、2ch同様動画に投稿者名が明記されないので、基本的に投稿者は匿名で投稿することになります。そのため、ほとんどの動画では、投稿者は明記されず、視聴者も投稿者はも動画の作者が誰かと言うことを意識しないのが普通です。

そのような環境があったため、初音ミクの楽曲も、最初は匿名で投稿するのが普通でした。しかし次第に、主にオリジナル曲の投稿者に対し、視聴者がプロデューサー名を付ける例が増えていきました。何故初音ミクの楽曲の作者が「プロデューサー」と呼ばれたのかは、「ニコニコ動画」では例外的に作者名を明記する慣習があった「ニコマス」界隈で、「プロデューサー」という呼称が使われていたからだと思われます。

また、視聴者が作者にプロデューサー名を付けるだけでなく、投稿者が自ら作者名を名乗る例も次第に増えていきました。その結果、初音ミクVOCALOIDの楽曲の投稿者は、匿名ではなく、プロデューサー名あるいは自分で付けた作者名を名乗ることが普通になっていきます。

初音ミクVOCALOID 関連の楽曲の作者が、プロデューサー名や作者名で呼ばれるようになった時期を考える際に、「週間VOCALOIDランキング」が参考になります。

先ず「週間VOCALOIDランキング」の前身に当たる「週間みくみくランキング」が2007年10月9日に始まって以来しばらくは、ランキングで作者名は表記されていません。

ランキングで作者名が表示されるようになったのは、「週間みくみくランキング」が「週間VOCALOIDランキング」に変わってしばらく経った2008年の1月15日の#15からです。そのため、2008年初頭には、プロデューサー名や作者名で、楽曲の投稿者を区別する慣習が有る程度広まっていたと思われるます。ただし、#15で作者名が表記されたのは30動画中10動画に過ぎず、まだ作者名を付ける習慣は十分広まっていなかったと思われます。

その後もしばらくは、同様の傾向が続きます。#16で11動画。#18で13動画。#19、#20も13動画。#21が14動画と2月後半になると、若干作者名を明記する動画が増えています。

作者名を付ける動画が突然増えたのが、3月4日の#22で、この時は20動画に作者名が付けられています。続く3月11日の#23でも19動画と3分の2の動画に作者名が表記されているため、2008年3月には、作者名を明記することが慣習としてかなり広まっていたことが分かります。

その後も、同様の傾向は続き、4月8日の#27では23動画。5月6日の#31では20動画。6月10日の#36が19動画に作者名が付けられています。

そして、2008年7月1日の#39のリニューアル以降は、全ての動画に作者名が付けられるようになりました。そのため、少なくとも7月には、VOCALOID楽曲の作者には、ほぼ全員作者名が付けられるようになったと考えられます。

つまり、2008年はじめには、「初音ミク」やVOCALOID関連の楽曲の投稿者を、プロデューサー名や作者名で判別するという慣習がある程度広まっており、遅くとも7月までにはほぼ全員がプロデューサー名や作者名によって判別されるようになっていたことが分かります。

このことから、遅くとも2008年の前半までには、井手口さんが指摘したような、初音ミクが主体としてのキャラクターであり、楽曲の制作者は、主体としての作者と言うよりは、キャラクターデータベースを使ってシミュラークルを作ることを通じて、集団としてキャラクターを改変していく匿名的存在であるという図式は成り立たなくなっていたと考えられます。

動画制作者が次第に匿名的存在から、固有名を持つ作者だと捉えられるようになった理由として、「ぼかさち」さんは数が増えすぎた動画を検索するために、情報を整理する必要があったためではないかと考えています。*1

個人的には、情報整理だけでは作者への注目は説明できないと考えています。というのは、ニコニコでは大量の動画が上がっているジャンルでも、普通はMADの作者を作者名やタグで整理しようという動きが出てこないからです。

現在ニコニコ動画でプロデューサー名や作者名が付けられるという慣習が一般化しているのは、VOCALOIDニコマスだけです。御三家の一つ東方は、投稿動画数は莫大であるにもかかわらず、プロデューサ名による情報整理の動きは出てきていません。ガチムチパンツレスリングや松岡修造など他の人気ジャンルも同様です。

基本的にMAD動画では、キャラクターデータベースが主体となり、個々の動画の作者はそのデータベースを作ってシミュラークルを作る匿名的存在だと見なされていると思います。そのため、東方をはじめとするほとんどの二次創作ジャンルでは、作者名が重視されないと思われます。

そのため私は、視聴者が、VOCALOIDを使って作られた楽曲やニコマスMADをキャラクターデータベースのシミュラークルというより、個性ある作者によって作られた作品だと見なしているため、VOCALOIDニコマスでのみプロデューサー名や作者名が付けられるようになったのだと思います。

そのため、「初音ミク」楽曲の視聴で作者への関心が強まっていったのは、単に情報整理のためだけでなく、むしろ「初音ミク」楽曲が初音ミクというキャラクターを使った二次創作ではなく、作者によって作られた一次創作であると見なす視聴者が増大していったからではないかと考えています。

そのため、遅くとも2008年7月までにはニコニコ動画において、初音ミクVOCALOIDDTMソフトであり、それらのソフトを使って楽曲を作る作者が主体であるというモダンな作者観が支配的になったと考えられます。



3.3. 初音ミク図像の非キャラクター化

最初期から「初音ミク」動画には、基本的にキャラクターの図像が付けられていました。これは初期段階では、初音ミクがキャラクターとして受け取られていたからであると思われます。

しかし、初音ミクの自己言及的曲に対する注目が減退し、初音ミクのキャラクター性とは無関係なオリジナル楽曲に対する注目が増大すると、「初音ミク楽」動画で使われる図像の機能が変質していきました。。



3.3.1. 「初音ミク」動画の図像のタグ化

初音ミク」楽曲の投稿動画で使われる画像は、元々楽曲の歌詞の内容とは無関係で、初音ミクの動画であることを示すしるしという性格が強かったと言えます。

このような慣習は、ある時期までは、初音ミクという架空の人格が歌っているという錯覚を引き起こし、初音ミクをキャラクターとして捉える視聴者の見方を強めたと思われます。

初音ミクが広く認知され、関連の動画がニコニコ動画で増加し、頻繁にランキングに上がるなど人々の目に付く場所に現れるようになると、初音ミクDTMソフトウェア、キャラクターであると同時に、ジャンルの名称として受け取られるようになっていったと思います。

つまり、初音ミクの画像、あるいはタグの着いた動画は、「初音ミク」というソフトウェアを使ったオリジナル楽曲を聴きたいときに、他のジャンルの動画群から区別して、情報選択をしやすくするための指標として受け取られるようになっていった、つまり視認しやすいタグのようなものとして機能するようになっていったのではないかと思います。



3.3.2. 「初音ミク」動画のキャラクター図像における記号的要素の減退

また、「初音ミク」の楽曲やPVで使われる初音ミクの図像に、次第に初音ミクを構成する記号的要素を排除したものが増えていきました。

その初期の例が「コンビニ」のPVです。この楽曲は初音ミクとは関係ない、普通の少年少女を題材にした曲です。そのためPVに出てくるのも、初音ミクとは全く関係ない容姿をした普通の女の子です。

また、ryo氏の「ワールド・イズ・マイン」につけられたイラストでは、緑の髪とツインテールという初音ミクを視認できる最低限の記号的要素を残し、他の萌え要素が取り去られています。

このような初音ミクというキャラクターの記号的要素を取り去ったキャラクターの図像が、「初音ミク」を使った動画で用いられるのは、オリジナル楽曲増大の結果であると思われます。

先ず、初音ミクの自己言及を歌詞としないオリジナル楽曲では、より現実に近い恋愛が歌われることが多いです。このような歌詞は、自然主義的なリアリズムによって描かれているので、記号的な萌えキャラクターという非現実的なキャラクターデザインを使うと、双方のリアリティーの審級が合わず、違和感が生じることになります。このような自然主義的な歌詞のリアリズムと齟齬を生じさせないために、次第に初音ミクのデザインから萌え要素が削ぎ落とされ、最終的には最も印象的で、なおかつアニメ・マンガ的リアリズムの範疇での自然主義的リアリズムと整合性が取れなくもない、ツインテールという髪型と緑色の髪を除いて、キャラクターから萌え要素が排除されたのだと思います。

このようなイラストでは、初音ミクは既に楽曲を歌うキャラクターというよりも、むしろ歌詞の主体である女の子を示す象徴になっていると思います。つまり、オリジナル楽曲で付けられているキャラクターの図像は、既に初音ミクと言うよりは、その歌詞の主体となる女の子を示すものであり、ツインテールや緑の髪は、「初音ミク」を使った楽曲には初音ミクの画像を付ける、あるいはPVには初音ミクを使うという従来の慣習の残滓に過ぎないと考えられます。



3.3.3. 初音ミク画像を使わない「初音ミク」動画の増加

初期段階から、初音ミクをシルエットにしたり、初音ミクの画像を使わないオリジナル曲は少数でしたがありました。そのような画像は、その楽曲は、初音ミクというキャラクターとは関係ない、単に「初音ミク」というソフトウェアを使っていることを示すために選ばれたと思われます。

その後、「初音ミク」を使った動画で、初音ミクの図像を使わないものが増えていきます。これは、初音ミクのキャラクター的側面には関心がなく、「初音ミク」を純粋に楽曲政策のためのDTMソフトであると見なす作り手が増えていったからでしょう。

また現在では、自身の投稿動画に初音ミクの画像を使わないジミーサムP が大変な人気を博したり、OsterProjectさんのような最も人気のある投稿者も、初音ミクの画像を使わずに動画を投稿するなど、「初音ミク」を用いた動画に初音ミクの図像を使わないことは、視聴者にも完全に受け入れられていると思われます。


このように、ニコニコ動画で「初音ミク」楽曲に付けられる初音ミクの図像は、曲や「初音ミク」の合成音声とは直接結びつかない、情報整理のためのしるし、歌詞の主体の女の子を示すしるしになり、初音ミクというキャラクターを示すという性格を薄れさせていったのだろうと思います。そして、その最終的なかたちとして、初音ミクの図像を用いない「初音ミク」動画が次第に増加、一般化していったのだろうと思います。そして、このような変化が生じたのは、「初音ミク」が制作者の間でも視聴者の間でも次第にキャラクターというより、DTMソフトだと見なされるようになっていったからだと思われます。



3.4. まとめ

以上「初音ミク」の楽曲視聴で、初音ミクというキャラクターよりも作者に視聴者の関心が移っていったこと、初音ミクの自己言及曲よりも初音ミクのキャラクターとは関係ないオリジナル楽曲に視聴者の関心が移っていったこと、「初音ミク」動画で使われる図像で、初音ミクのキャラクター性が次第に重要性を失っていったことを見てきました。

以上の変化はどれも、制作者も視聴者も、オリジナル楽曲の制作あるいは視聴で、初音ミクというキャラクターよりも、楽曲そのものに対する関心を強めていったことを示しているだろうと思います。つまり、「初音ミク」はDTMソフトウェアであり、楽曲の主体は固有名を持つ作者であり、重要なのは楽曲そのものであるという認識が、制作者の間でも、視聴者の間でも次第に広まっていったと思われます。

このような視聴傾向の変化を萌えのマトリックスに即して説明すると以下のようになります。先ず2007年末までは前章で示したように、「初音ミク」楽曲は、萌えマトリックスのA (自己言及曲) とB (ミクの声にキャラクター性を感じる) によって占められていと見なされていたと思います。

しかし、2007年末以降次第にA楽曲とB楽曲の代表である自己言及曲への注目が減退しました。さらに、声そのものが初音ミクのキャラクター性を示す萌え要素であると見なされていたためそれまでB楽曲だと受け取られていたオリジナル楽曲が、DTMソフトとしての「初音ミク」とキャラクターとしての初音ミクが人々の中で次第に切り離されていったため、C楽曲、つまり萌え要素を含まない通常の楽曲だと受け取られるようになったと考えることができます。

このことは、キャラクターが主体となり、キャラクターデータベースを用いて匿名の作者たちが集合的に二次創作を行い、視聴者もまたそれらの楽曲を、キャラクターソングという二次創作として受け止めるという新しい楽曲制作や視聴のやり方が、2007年末から2008年夏までにかけて、次第に作者がDTMソフトを使って一次創作であるオリジナル楽曲を制作し、視聴者もまたそれらの作品を個性的な作者が自らの創造力を用いて制作した一次創作だと見なすという、極一般的な音楽制作、視聴のやり方へと変化していったことを示していますと思われます。




4. キャラクターの合成音声からの独立

初期段階では音声合成ソフトとしての側面とキャラクターとしての側面が一体化していた初音ミクですが、合成音声ソフトとしての側面がキャラクターとしての側面から独立すると同時に、キャラクターとしての側面も合成音声ソフトとしての側面から独立し、自立した発展を遂げていきました。



4.1. 初音ミク図像の無限増殖

初音ミクのキャラクター図像は、KEIさんによる流麗なイラストで、記号的な萌え要素の集合として描かれたため、大変な人気を集めました。2007年10月7日に公表された「たぴ・ぱん」に見られるように、既に初期段階から、初音ミクのキャラクターは、初音ミクの合成音声から独立していく傾向を見せていましたが、時を経る毎に、初音ミクの図像は、合成音声とは全く関係ない領域で大量に増殖していくことになります。

先ず、初音ミクは、数え切れない人々によってイラストとして描かれていきます。その際に重要な発表の場が、pixiv とピアプロでしょう。これらのサイトでは、ニコニコ動画のように音声が付けられないので、初音ミクの図像は合成音声とは全く関係のない、純粋なキャラクター図像であると言えます。

また、初音ミクの同人誌が大量に作られるなど、初音ミクというキャラクターを使った漫画も現れています。

また、ニコニコ動画では、初音ミクの楽曲を使った3D CG や手書きイラストによるPVが数多く作られました。これらのPVは、基本的に「初音ミク」を使って制作された楽曲につけられたものなので、初音ミクの合成音声ソフトとしての性格とキャラクターとしての性格を結びつけるものですが、MikuMikuDance が登場すると、その機能はほとんど失われ、初音ミクの図像、キャラクターとしての側面が合成音声から自立することになります。

さらに言えば、MMDの作者にプロデューサー名が付けられるようになってきていることからも明らかなように、MMD初音ミクというキャラクターを使った二次創作のためのソフトから、3Dモデルを使った映像作品を作るためのソフトへと性格付けが大きく変わろうとしています。

また、初音ミクのフィギュアやねんどロイド、Figmaが発売され、売り切れ続出など大変な人気を博しました。

また、初音ミクの図像を車体に貼った痛車、つまりレーシングカーが登場しました。

さらに、セガから初音ミクのゲーム「初音ミク -Project DIVA-(仮称)」発売されます。このゲームは、「初音ミク」を使った楽曲を使ったリズムアクションのようで、初期初音ミクのイメージで作られています。しかし、このゲームの売りは、かわいらしい初音ミクの3D CG でしょうから、やはり初音ミクの萌えキャラクターとしての魅力を前面に出したゲームだろうと思います。

以上のように、初音ミクの図像は、様々な領域で無限増殖しており、これらの図像では音声合成ソフトという元々の性格はほとんど意味を失っていると言えます。



4.2. 派生キャラクターの無限増殖

また、初音ミクというキャラクターは、他のアニメ・マンガのキャラクターと同様に、データベースとしての性格を強めていくことになります。そして、初音ミクというキャラクターデータベースには、元々あったデザインにおける萌え要素、年齢や歌姫などの基本的設定以外に、数多くの設定が加えられていくことになります。そのようなデータベースの構成要素の一つとして、擬人化された他のVOCALOIDとの家族関係がつけ加えられました。

また、弱音ハク亞北ネルなど「初音ミク」の合成音声を用いた派生キャラクターも作られました。このことは、「初音ミク」の声そのものは、キャラクターを構成する基本的要素ではなく、派生キャラクターといった他のキャラクターデータベースでも使うことの出来るデータベースの構成要素の一つであることを示していると思われます。



4.3. まとめ

以上のように、キャラクターとしての初音ミクは、DTMソフトとしての「初音ミク」から次第に独立し、図像という面でも、キャラクター設定という面でも、現在ではほぼ完全に自立したキャラクターに成長したと思います。

その結果、「初音ミク」というDTMソフトウェアの本質的機能である合成音声、あるいは歌は、キャラクターのデータベースを構成する重要ではあるが、本質とは言えない一要素になったと言えるでしょう。そのため、初音ミクのキャラクターのアイデンティティは、声あるいは歌姫という設定というよりも、緑の髪とツインテールという記号的特徴やボカロファミリーの一員という設定によって構成されていると考えられます。




5. 「初音ミクという神話」は生き続ける

初音ミクという現象の新しさは、DTMソフトウェアのパッケージに記号的な萌え要素によって構成されたイラストレーションをつけることによって、人々が、ソフトウェアの合成音声をキャラクターの肉声だと半錯覚し、初音ミクを疑似人格だと感じるようになり、魅了されたことにあるだろうと思います。

これは言い替えれば、元々相互に全く関係のないDTMソフトウェアとしての「初音ミク」とキャラクターとしての初音ミクが同一視されていたと言えます。

しかし、このような見方が主流を占めていた時期は、これまで示してきたように、実際にはそれほど長くなかったと思われます。おそらく2007年11月頃から2008年初夏までの間に漸進的に、「初音ミク」のDTMソフトとしての側面とキャラクターとしての側面は、分裂していくことになりました。

そしてその結果、現在では「初音ミク」楽曲は、J-POPやロックなど普通のポップスの楽曲とほとんど変わらない視聴のされ方をするようになり、初音ミクというキャラクターは、他のアニメ・マンガのキャラクターとほとんど変わらないデータベース消費をされるようになりました。もちろんDTMソフトとしての「初音ミク」とキャラクターとしての初音ミクは、完全に分裂したわけではなく、「初音ミク」の楽曲でキャラクター性が強調されることもあれば、初音ミクのPVで「初音ミク」の合成音声が使われることは多々あるわけですが、初期のようにこの両者が不可分のものとして結びついている動画は、もはや「初音ミク」あるいは初音ミクの動画でも主流とは言えないだろうと思います。

そのため、初音ミク現象が独自性を持っていた時期はかなり短い間であり、その後は他の音楽分野やキャラクターでも良く見られる現象になったのではないかと思います。

ただ興味深いのは、既にかなり以前に状況は変わっていたにもかかわらず、おそらく初音ミク動画の視聴者の多くは、初音ミクVOCALOIDを、まだ初期のイメージで見ていることです。

おそらく、既に作者に注目して初音ミクの楽曲を聴いている人の大半も、初音ミクは主体としての疑似人格であると思っているのではないかと思います。既に関心の変化が起こってかなり経った頃、私が指摘してから、キャラクターから作者への関心の変化が生じたことが語られるようになったことがその証拠だと言えます。昨年末に発売された「ユリイカ」でも、初期の初音ミクのイメージがほとんどそのまま保存されていましたし、これまでのところ状況の変化は、発売当初に作られた初音ミクのイメージをほとんど変えていないのではないかと思います。

元々初音ミクに限らずキャラクターは、人々の想像の中でのみ存在するものです。そのため、現在は多くの人々が初音ミクを、擬人化された主体としてのキャラクターだと思っているのだから、「初音ミクという神話」は今も続いていると言っても良いのかもしれません。