作者と匿名的創作とアーキテクチャー

ゼロアカ道場の第五関門まで行った峰尾さんの動画がニコニコ動画に上がっていました。この中で、私がこの間書いた「初音ミクの分裂」に関わるような、ニコニコ動画における古典的作者の復活について言及がありました。


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個人的にはニコニコ動画に於ける古典的作者の復活を考えるには、作者の復活が、極めて限定的なジャンルでしか起こっていないことを頭に入れておく必要があるだろうと思っています。つまり、ニコニコ動画で作者が復活したのは、ニコマスVOCALOIDのオリジナル曲、ゲーム実況、そしてまだ萌芽的ですがMMD くらいだということです。

ゲーム実況は性格が違うと思いますが、ニコマスVOCALOIDのオリジナル曲、MMDに共通していることは、先ずキャラクターに魅力を感じた人々が大量に二次創作あるいはn次創作を作り、多くの視聴者と作者の注目と人気を集める環境を作った後、その確立された環境を使って、キャラクターを使いながら、キャラクター的要素を削ぎ落とし、限りなく一次創作に近い作品を作っていく作者が現れ、人気を博していくことです。

峰尾さんは動画の中で、作者たちが自分たちをシステムの一部として匿名的な創作を受け入れられるようになれば良いという希望を述べていたように記憶していますが、実際にはニコニコ動画では先ず匿名的で集合的な創作が成り立った後に、視聴者が個性的な作品を作る作者を固有名で認識しようとし、結果として古典的な作者が復活するという順序になっていると思います。

これは既にクラブミュージックやヒップホップで生じたことではないかと思います。そのため、個人的にはこのあたりの問題は、クラブミュージックやヒップホップの評論で、かなり緻密な議論がされてきたのではないかと想像しています。私はクラブミュージックやヒップホップに余り関心がないので、良く知りませんが。

あと、個人的に興味深いと思ったのは、みんなにスルーされていましたが、集合的創作についての議論がなされていたときに、ustreamer-9719さんが、「YouTubeみたいに投稿したところに名前があったらまた違ったりするのでしょうか?」という質問をしていたことです。個人的にはこれは当然YESであろうと思います。

ニコニコ動画で匿名的なコミュニケーションが行われるのは、ひろゆきさんが明言しているとおり明確な設計思想に基づくものです。先行するYouTubeなどの動画投稿サイトでは、投稿者を特定することができるのが普通だったので、アーキテクチャーとして匿名的コミュニケーションを行うようにできていません。それを排除し、2ch的な匿名的なコミュニケーションを視聴者が行うように設計されたのがニコニコ動画です。

個人的には、このあたりの問題について考えるには、匿名的なコミュニケーションが主な日本のネットユーザーと、実名や自分の姿を出すことに抵抗感を感じない海外のネットユーザーのメンタリティーの違いなどについて注目する必要があるのではないかと思います。

ただし、サンプリングを使うクラブミュージックやヒップホップ、匿名的なニコニコ動画を見ると、アーキテクチャーがどうであれ、作者が個性的な作品を作り出す限り、作者自身も、視聴者もそこに創造力溢れる個性的な作者を見いだすものなのだろうと思います。