フランスの層の厚いマンガ文化

先週までフランスを旅行していました。はじめてのフランスということで、色々と興味深かったです。旅の様子は、後日書くとして、今日はフランスのマンガについて書いてみようかと思います。

私はフランス語は読めませんが、それでも幾つか書店に入って、店を眺めてみました。その時、驚いたのはフランス(あるいはフランス語圏)の書店には、マンガが大量に置いてあるということです。私はスイスのフランス語圏にあるローザンヌ、フランスのリヨン、シュトラスブールの本屋を見ましたが、どこでもマンガコーナーが非常に充実していました。その様は、まるで日本のようで、フランスにはマンガ文化があるのだということを、私は初めて具体的に目の当たりにしました。

フランスのマンガは、大きく分けて二つのジャンルに分かれています。それは、日本のマンガとフランスのマンガです。フランスでは、日本のマンガの紹介が非常に活発らしく、フランス語に翻訳されたマンガが大量に書店に置かれています。フランスのマンガのカヴァーは、日本のオリジナルのカヴァーのデザインをほぼそのまま使っているものが多く、日本語のタイトルがそのまま残っていることもあって、日本のマンガコーナーにいると、自分がまるで日本の書店にいるかのような気になってしまいます。

ざっと見た感じ、人気作はかなり紹介されているようでしたが、中には少々マニアックな作品も翻訳されていました。たとえば、谷口ジローの作品や、坂口尚の作品です。坂口尚畢生の名作『あかんべぇ一休』がどこの本屋にも置いてあったことには、驚かされました。しかも、平積みされていたり、かなり目立つところに置いてあったことに。何しろこの作品は、日本では全く無名で、しかもかなり手に入りにくい作品だからです。

『あかんべぇ一休』は以前一度小さい版で最後まで出版されていたようですが、現在A4版で再販されているようです。今は、赤い表紙の第5巻が書店で大々的に売られていました。この作品は、書店によっては、日本のマンガのコーナーではなく、フランスのマンガのコーナーに並んでいるなど、芸術性が高いマンガとして評価されているようです。坂口尚と言えば、日本でも余り有名ではありませんが、寡作ながら、驚くべき質の名作を数多く生み出した漫画家として、良心的な漫画ファンに支持されている作家です。そのような作家の質の高い作品を、きちんと紹介しているところは、さすが芸術の国(と良く言われる)フランスだと思いました。

坂口尚についてはここを参照。 http://homepage3.nifty.com/stp/sakaguchi/

しかし、日本のマンガが沢山売られているとはいえ、フランスの書店では、自国のマンガの方が広い売り場面積を占めています。これは、独自のマンガ文化がほとんど存在せず、書店(というよりは駅などのキオスク)には、日本やアメリカのマーベル社のマンガしか並んでいないドイツとは根本的に違うところです。

ここで私はフランスの「マンガ」と表記しましたが、フランスのマンガは日本のマンガとは根本的に違います。フランスのマンガのほとんどはA4 版という大きな版で出版されており、質の良い紙が使われており、中身もカラーです。ページも非常に少なく、薄いので、見た目は、ほとんど版の大きい絵本という感じです。このような本の作りなので、価格も20ユーロを超えるなど、かなり高価です。安価な娯楽という性格の日本のマンガとは、この時点で全く違います。

私はフランス語は分からないので、内容の質は分かりませんが、おそらくはストーリーよりは、絵を重視する作りだと思います。少なくとも、日本のマンガのように、複雑で遠大なストーリーを展開するということは、ページ的に不可能だと思います。内容は、見た感じでは、ファンタジーが多かった気がします。しかし、サスペンスやホラー、ユーモアなど、内容は様々なようでした。

幾つかのマンガの中身をペラペラと見てみたのですが、ページ内をコマで分割し、物語を展開するという部分は同じでも、日本のマンガとは違う文法で描かれているので、日本人の私にとっては、余り魅力的とは思えない作品が多かったです。先ずはキャラクターの造形の違和感を感じるのですが、それ以上にマンガの動きのなさが気になります。これは、フランスのマンガでは、コマ割りが単純で、効果線も余り使われていないことに起因しています。また、カラーであること、ページ内のコマ数が多く、書き込みも多いために、一画面あたりの情報量が多く、視線を向ける対象が明確ではなく、読むのに時間が掛かる=読む時の速度感が遅いということにも起因しています。

ですから、同じマンガとは言っても、フランスのマンガは日本のマンガとは異なり、小さなコマを単位とした、多数のイラストの集積という、イラスト集、あるいは絵物語的な性格が強いのではないかと感じました。流れの中で読む日本のマンガと異なり、個々のコマの絵をじっくり眺めるという静的な読み方をするメディアだと思いました。

しかし、とは言っても、何しろ膨大な量のマンガが出版されていますから、中には凄いものもあります。私が立ち読みをして衝撃を受けたのは、Gabriel Delmas という人の描いた「Vampyr Draco Maleficus Imperator」 という作品です。この作品を一言で言うと、フランス版ベルセルクです。ストーリーは良く分かりませんが、人間が悪魔になってしまうという話のようです。この作品の中には、多くの異形の怪物が出てくるのですが、それらの怪物のデザインのセンスが、『ベルセルク』にも通じるような、非常に禍々しいものなのです。私はページをめくりながら、思わず『ベルセルク』の蝕の場面を思い出しました。空間そのものが魔が支配する異形と化してしまったかのような、嫌悪感を掻き立てられる、あの感じです。

描線は非常に洗練され、綺麗なので、あそこまでの荒々しい禍々しさはないのですが、それでも造形の気色の悪さは相当なものです。この作品は、日本のマンガファンにも受け入れられやすいと思うので、出版社は出版権を買って、日本で売り出しても良いのではないでしょうか。

他には日本を描いた作品らしいPierre Duba という人の『Kyoto』 という作品も印象的でした。外国人から見た日本の風景、絵がかなり印象的でした。

私がフランスの書店で膨大なマンガに囲まれながら思ったのは、私はこれまで、地球の裏側に日本とは全く違った層の厚いマンガ文化があるということを全く知らなかったということです。大友克弘や宮崎駿に影響を与えたということで、メビウスの名前くらいは知っていたので、フランスにもマンガがあるということは知っていましたが、その質と量がこれほどのものだとは全く思っていませんでした。

そして思ったのは、フランスのマンガは、果たして日本でこれまで本格的に紹介されたことがあったのかということです。少なくとも私は知りません。しかし、おそらくあの層の厚さがあるならば、中には非常に質が高く、なおかつ日本人の嗜好にも合う作品がかなりあるだろうと思います。

日本のマンガはマンガで、技術的に確立されすぎたり、商業化のノウハウが洗練されすぎていることもあり、閉塞状態に陥っている部分もあります。その中で、日本のマンガとは違う文法で描かれている、もう一つのマンガ世界を日本に紹介することは非常に有意義なのではないかと思います。誰かフランスに精通した評論家が、そういうことをやってくれると、面白いと思うのですが、誰かやってくれないのでしょうか。