『Rhysm is it!』(邦題『ベルリンフィルと子どもたち』)

今日は、Schlosstheater シュローステアターという映画館で、映画を観てきました。この映画館は、ミニシアターに近い、独立系のマイナーな映画や海外の映画を上映してくれるありがたい映画館です。ミュンスターでは、ミニシアターは、CinemaSchlosstheater しかないのですが、それでもないよりは遙かにマシです。

私はドイツに来てから、日本にいるときよりも遙かに頻繁に映画館に行くようになりましたが、その理由はこちらの入場料が安いからです。こちらの映画館の入場料は6.5ユーロ(約900円)が基本価格です。Cineplex などのシネコンだと、もっと高い席があるのですが、席を選ばなければ、6.5ユーロで観れます。また、Cinema は夕方6時前の時間は4ユーロで映画が見れますし、Cineplex も毎週火曜日は入場料が一律4ユーロになります。学生なら、いつでも5ユーロで観れます。

こちらにもレンタルビデオ屋はありますが、当日返却で2ユーロ、翌日返却で4ユーロ、その後一日経つ毎に2ユーロずつ値段が上がるというシステムなので、映画館で映画を観るのと、DVD を借りる値段もそんなに変わらないということで、自然とだったら大きなスクリーンで見ようと言うことになります。


驚いたのは、今夜のSchlosstheater は、人で一杯だったことです。もちろん、土曜日の夜という一番映画館が混む時間だったからでしょうが、ハリウッドの人気作でもない映画を観るために、山ほど人が来るとは思いませんでした。Cinema で映画を観るときは、いつもかなりガラガラでしたし。ちなみに客層は、老婦人が圧倒的多数でした。


今日私が観た映画はトマス・グルベ+エンリケ・サンチェス・ランチ監督の『Rhythm is it!』(邦題『ベルリン・フィルと子どもたち』)というドキュメンタリーフィルムです。ドキュメンタリーフィルムの上映ながら、場内はほぼ満員でした。

ちなみにSchlosstheaterCineplex では、アイスの宣伝が流れた後、実際にアイスを売りに来ます。今日は、売り子のお嬢さんが「アイスはいかがですか」というと、誰も手を挙げず、シーンとしていました。内向的そうな彼女が「ほとんど満員なのに誰も買ってくれない。いつも、売れない」などと(半ば冗談、半ば本気で)言うと、場内に笑い声が起き、その後いくつかアイスが売れました。


この映画は、様々な学校から集めた、幅広い年齢の250人の子供や若者にダンスを教えて、ベルリンフィルハーモニーオーケストラと競演させてしまおうという企画です。

振り付け師が最初にダンスを教え始めたときは、子供達は、へらへら笑っていたり、だらだらしていたりしていました。そこで、最初に振り付け師がやったことは、子供達を集中させることです。とにかく喋るのを止めさせる、静かにさせる、真面目にやらせるということに、彼らは力を注ぎます。振り付け師は、子供達が踊りの途中に笑ったり、きちんとやらない原因の一つを、彼らの自信不足にあると考えます。

集められた子供の多くは、難民を含む下層階級の出で、色々な問題を抱え、自分に自信がなかったり、何かを成し遂げるために苦労して真剣に取り組まなければならないと言うことを経験してこなかったため、何かに本気で取り組むことができません。そんな彼らに、振り付け師は、彼らの身体に眠っている力を発揮すると言うことを、ダンスを通じて気づかせようとします。そして、彼らは、ダンスは遊びではない、自分たちはダンスを真剣にやっているんだと、子供達に熱意をもって伝えます。

振り付け師達の真剣な態度に呼応してか、次第にダンスに真剣に取り組もうという子供達も出てきます。そして、5週間のレッスンが終わり、ベルリンフィルを従えて舞台で踊る子供達は、へらへら笑い、だらだらとつまらなそうに踊っていた頃とはまるで別人のように、真剣で熱意にあふれていました。


この映画は、単に子供達のレッスンの様子を追いかけるだけでなく、何人かの子供の個人的な状況、ベルリンフィルの練習の様子、指揮者のインタビュー、さらに振り付け師のインタビューなどを挟みながら進んでいきます。子供達がだらだら練習をしていて、振り付け師に注意されている場面があると思えば、真剣そのもののベルリンフィルの練習の様子が続き、その指揮者の音楽に対する情熱が語られ、さらに振り付け師のダンスに対する情熱が語られ、個々の子供についても描かれます。様々な視点から音楽、そしてダンスを描くことによって、この映画は、視点の重層性を獲得しています、


単に子供だけに焦点を当てるのではなく、大人にも焦点を当てているところは、この映画で非常に成功しているところだと思います。つまり、振り付け師が、子供達に言っていることの背景は何なのか、実際に彼等の言っているようなことをすることで、どのような大人になるかが、暗黙の内に示されているからです。

子供のレッスンに対比されているベルリンフィルは、世界最高のオーケストラと言われる楽団で、そこに所属している人は、常人では考えられないような努力や才能や情熱で、その道を極めて人ばかりです。また、インタビューで色々と語っていた指揮者も、練習風景を見るだけでも、尋常でない能力の持ち主だと言うことが分かります。実際にオーケストラを指揮するためには、自分の頭の中にある音と、実際にオーケストラが鳴らしている音を、絶えずチューニングしながら、理想の音を具現化させる耳、あるいはコミュニケーション能力が必要だと言うことが、良く分かるからです。

また、振り付け師にとって、ダンスがどういう意味を持つことで、彼がどういう背景を持って、何故ダンスに情熱を傾けるのかが描かれます。

こういった大人達が描かれるから、こういう大人になるためにはどうすれば良いのか、何が必要なのかを、振り付け師が子供達に教えているのだということが分かります。


だから、この映画は、立派な大人が、身をもって、子供達にどうすれば良いかと言うことを示し、教えるという非常に教育的な映画です。大人達が、子供達に自分たちの中には力が眠っていることを教え、真剣に何かに取り組むことを教え、自分に自信を持つことを教える、そういう映画です。

この試みが成功したことは、最初の頃の子供達の表情や動きと、最後の方の子供達のそれが全く違うことが示しています。映画ではこの変化は短い時間に凝縮されているので、その表情の変化がどれほど大きいかが良く分かります。これは、必ずしも彼らがカメラに慣れて表情を作るようになったと言うことではなく、彼らの意識が変わったということだと思います。最初はいささか弛緩していた表情が、最後には引き締まった良い顔になっているのを見ると、ドキュメンタリーの力というか、演技ではない、本物の表情の力というのを思い知らされます。


もちろん、この映画でやったことは短期間のものですから、一過性のものでしょう。しかし、思ったのは、やはり子供に、真剣に当たり前のことを教えるというのは重要だということです。

特に今回の映画で焦点になっていたのは、自信、自分を信頼することだったので、色々と考えさせられました。たとえば、あの子供達が、この一件で自分に対して自信を持つことが出来たとして、その後自信がうち砕かれるようなことはいくらでも起きるはずです。

彼らは余り恵まれた環境にはないようですから、失業者になって仕事がいつまでも見つからないとか、やりたいことがあっても、経済的な理由や家庭の理由で諦めざるを得ないということもあるでしょう。不利な環境に育った人間は、社会で生きていく際、あらかじめハンデを負っているわけですから、それを乗り越えられる人は限られています。特に現在のような低成長の社会では、階層間の格差は、固定化、あるいは拡大する傾向にあると言われていますので、なおさらです。


それを考えると、やはりこのような一過性の試みは、映画としては感動的ですが、実際には子供達の未来を直接明るくするというものでもないと思います。でも、こういう自分の力を発揮し、達成感や自己信頼感を高める機会は子供の頃には絶対に必要なことなので、こういう機会を繰り返し繰り返し、子供に与えることは凄く重要なのだろうと思います。その繰り返しによって、身体に自信を植え付けることでしか、ちょっとのことでは動揺しない、自分への深い信頼は生まれないと思うからです。

それを考えると、この映画は、大人が子供に対し、どのような態度を取って、何を伝えて行くべきなのかを考えるときのヒントがたくさんあると思うので、大人が見て、自分の態度を考え直す機会にもなるのではないかと思います。

でも、もし、たとえ数人でも、今回の出来事を契機にして、自分の人生を良い方向に進めるための力が生まれた子供がいれば良いなと思います。


と、色々感想だけでなく、蛇足も書いてしまいましたが、そういった映画を超えた部分にも、思いをめぐらせざるを得ない、とても良い映画でした。こういう背筋の伸びた倫理的な映画は、観ていて気持ちが良いですね。


ベルリン・フィルと子どもたち コレクターズ・エディション [DVD]

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