NTT インターコミュニケーション・センター(ICC)

この日は、初台のオペラシティーにあるICC に行ってきました。ICC は、NTT が主催する美術館です。ICC が扱うのは、インタラクティブ・アートです。技術的に最先端の美術作品に触れられるICC は、かなり貴重な場所だと思います。

ICC では、オープン・スペースに展示してある多くの作品を、無料で見ることが出来ます。ほとんどの作品は、単に見るだけでなく、触ったり、操作したりするなど、こちら側からの働きかけが必要なので、お客さんが戸惑わないように、職員の方が説明してくれます。

たとえば、入り口にある「境界線」という作品は、四角の台の上に人が乗ると、その人と人の間に線が引かれます。二人が乗ると真ん中に一本、3人が載ると2本、4人が載ると3本と、だんだん線が増えていきます。そして、台上で人が動くと、動きに合わせて、線も動いていくのです。

「loopScape」という作品では、円筒形の360度スクリーンを使って、互いに弾を撃ち合うのですが、スクリーンが360度なので、自分の飛行機に合わせて、自分も動かなければなりません。コントローラを持ちながら、どたばたと走って、敵を追って倒すのです。

他にも、特殊なメガネを掛けて立体視した立方体に、スプーンをかざすと、スプーンに風が当たり、その抵抗によって、あたかもそこに実際に柔らかな立方体があるかのように感じられる、バーチャル・リアリティーを体験できたり、無響室があったりと、かなり盛りだくさんです。どれも単に眺めるだけではなく、自分で何らかの働きかけを行い、それに反応して、何か面白いことや、変なことが起こる作品ばかりだったので、非常に面白かったです。

また、この日やっていた特別展「コネクティング・ワールド」にも、様々な面白い作品が展示されていました。「事の次第」という映像作品では、リアルで「インクレディブル・マシーン」を実現させた様子が移されています。ドミノの如く、果てしなく連鎖していく運動には、唖然とさせられました。

また、《cyclone.soc》という作品では、黒い画面の上を、等高線のように、うねうねと無数の言葉が蠢いている様子が見れます。この作品は、コントローラーで、文字に近づいたり、離れたり、縦横に移動することができます。遠くから見ると、何かちらちらとしたものが形を作っているようにしか見えないのですが、近づくと、文字がうねうねと動いていることが分かるのです。

他にも、赤い光で包まれた部屋に入ると、入った人の動きに合わせて、スピーカーから発せられる超音波のような音が変化する作品や、色々な道具がくっつけられ、モニターに映し出されたゲーム画面で、銃撃が起こると、それに合わせて、それらの道具もガタガタと動き出すという作品もありました。

この美術館は、インタラクティブな作品が多かったのですが、これらの作品は、日頃我々が感じることがない新しい感覚というものを掘り起こそうとしていると思いました。どの作品も、これまで触ったことがないようなものなので、どうやって接して良いか分からず、戸惑いますし、実際に触ってみると、変な感じや新鮮な感じを覚えることができます。なるほど、最先端のアートは、我々に未知の感覚を覚えさせる、かなり面白いものなのだと思わされました。

最先端のテクノロジーを使ったり、インタラクティブなインターフェースを使ったりすると、まだまだ新しいことが山ほどできると、アートの今後の可能性を感じました。

ただ、そのような新しい感覚や何だか分からないけれども面白いものを、どれくらいの人が求めているかは、非常に疑問に思いました。おそらく、ほとんどの人にとっては、アートそれ自体はどうでも良く、アートの持つ機能、たとえばコミュニケーションの促進、要するに美術を話題にして、友人知人恋人家族と雑談をできることの方がずっと重要だろうと思います。そうなるとやはり、コミュニケーションを促進するもの、つまりみんなが既に知っている、有名な美術作品に需要が集まるのは必然だと言えます。

しかし、ICC が扱うような作品は、最先端であるが故に、有名ではなく、美術愛好家や美大生、サブカルファンなどの極々一部の人々の間でしか、コミュニケーションの促進をしないでしょう。そのため、ほとんどの人は、そのような未知のものには、全く興味を持たないだろうと思います。つまり、極狭い世界に生きる人以外は、純粋に美術が好きで、新しい感覚を求めている人しか、興味を持たないということになると思います。そのような人は、奇特な好事家と言っても良いような人なので、絶対数は非常に少ないだろうと思います。

個人的には非常に面白い展示だったと思うのですが、一方で、このような面白さに対する需要は、ほとんど存在しないだろうとも思いました。実際に、日曜のお昼ごろだというのに、来館者は、それほど多くはありませんでした。そのため、このような美術というのは、見る眼のあるパトロンの支援があってはじめて成り立つものであり、商業的には全く成り立たないものだと感じました。そのため私は、面白い、凄い、NTT は何て太っ腹なんだと思いつつ、少し切ないものを感じたものでした。