太田克史(講談社BOX編集長)インタビュー

太田: 今、僕が編集者として思っているのは、渡辺さんの『「ひらきこもり」のすすめ』にもあるとおり、自分のことを面白いと認めてくれる人は世界中にいる、と、信じようってことです。逆を言うと、世界中にある才能を、僕は編集者として取り扱ってもいいんだ、ということ。創作の環境が劇的に変わって、そういうことが実際に可能になってきてるんですね。まんがやゲームの現場では、既に意欲的に試みられてきたことだけれど、文芸の本を作るときもおなじことですよね。作家さんから原稿をいただいて、どういう本に仕上げるかイメージしたときに、その本を作るための素材がこの日本のなかだけにあると考えるほうが、もはや不自然なのかもしれないと思うんですよ。

渡辺: そういう話を聞くと本当に元気が出てきます。そんな意識の編集者が数人でも出てきてくれれば、状況は変わる気がするんです。作家の側としても、個人のマニアックな興味を追求することによって、いきなり世界と繋がる可能性がみえてくる、ということですよね。

太田: その通りです。僕、日本の若い作家から世界レベルの、数千万部超のベストセラー作品が出てこないほうがおかしいって今は心から信じてますからね。ある16歳の少年が、学校から iPodエミネム 聴きながら家まで帰って、「Wii欲しいなあ」なんて思いながら プレステ2の「グランツーリスモ 」で遊んで、お母さんと一緒に『ポケモン』のアニメ観ながら夕ご飯食べて、宿題やって、ベッドに入って『ハリー・ポッター』読んで、寝る前に彼女に電話して「今度『パイレーツ・オブ・カリビアン』の新作を観に行こうよ」なんて言ってるような生活は、日本の渡辺くんでも、台湾の林くんでも、フランスのピエールくんでも、アメリカのマイケルくんでも、さほど変わりはないでしょう? こんなことは世界史上初の状況です。全世界で数億人の若者が、ほぼ同一の青春を送っている。ならば、文芸が積極的に取り組むべき魂の問題も共通しているはず。既に、世界中の若者達の魂に日本のポップ・カルチャーは重要な影響を及ぼしている。

だったら、その魂の問題を解毒する毒としての文芸だって、日本人こそが書かなければならない。僕はそう感じるんです。ただし、現状は、お寒い限りですよ。例外としてのハルキ・ムラカミとケンザブロー・オーエがあるだけ。新宿の紀伊國屋、池袋のジュンク堂、そこには何十万冊と本が並んでいるけれど、日本人の書いた本で「全世界○千万部突破!」と帯に書いてある本は1冊もない。そりゃあ、世界で売れるから良い本だとか、偉い本だとかいう価値観は間違っていますよ。でも、一冊もないのはおかしい。

これは作り手である作者ではなくて、送り手である編集者、出版社の責任が大きいと感じています。はたして僕が今まで夢中になって編集してきた、そして日本の読者が夢中になって読んできた作家さんたちの本は、世界ではまったく通用しない、レベルの低い、劣った、ちゃちなものなのか? 断じてそうではないということを僕は全力で証明したいんです。

太田克史(講談社BOX編集長)インタビュー

もう数十年もしたら、国を超えた文化的島宇宙が無数に出来て、隣に住んでいる別の島宇宙人よりも、別の国の同じ島宇宙人の方が、より分かり合えて、遙かに親しみを感じるようになるのかもしれませんね。