雨宮処凛『EXIT』

現在プレカリアート関連の活動などでご活躍の雨宮処凛さんの『EXIT』(新潮社、2003年)という小説を読みました。この小説は、ひきこもりをしている女性が、インターネットで、リストカットなどの自傷を行う人たちや精神的な病を患っているメンタルヘルス系の若者が集まるサイトを見つけ、彼らと交流していくという話です。この自傷系サイトを主催しているのが恵という女性で、彼女は掲示板で丁寧にレスをしたり、「ジジョ」と呼ばれる自助グループを主催しています。

生きづらさを感じている主人公は、その掲示板で他の人たちと同様に、自分の気持ちを吐露し、ジジョにも参加しますが、自傷癖もなく薬も飲まない彼女は、その掲示板に集う人々の共同体に入ることもできません。そして、彼女は、いつも使っているのとは別のハンドルで主催者の恵を追いつめるような書き込みをしていき、その結果悲劇が起こります。

この作品のテーマ的な軸は、以下の三つです。1.若者が抱える生きにくさ 2.集団思考 3.現実感のなさ

この作品の登場人物のほとんどは自傷系など、生きにくさを感じ、上手く生きていくことができない若者です。主人公は、要領よく生きており、ほしいものを全て手に入れ、人から好かれる友人と、手に入れたいものは手に入らず、人から愛されない自分を比較し、劣等感を感じているために、引きこもりになりました。自傷系の若者の生きにくさの原因は様々ですが、恋人と上手く行かなかったり、仕事が出来なかったり、家族と上手く行かなかったりして、自分の価値を認められないことは共通しています。

彼らは、現実世界では自己肯定ができないので、ネットで同じ自傷系の若者と互いに自己肯定を繰り返すことで、自己の価値を認めようとします。特に、サイトの主催者の恵は、他人が期待する自分、つまりリスカや薬のオーバードーズを繰り返す人間という役割を引き受けることで、自己肯定をしようとしました。そのため、彼女の症状は次第に悪化してしまいます。

つまり、自傷系という共同体にもまた、彼らが上手く馴染めない外の世界と同じように、その集団の成員が持つことを期待される価値感があります。親密な関係によってできあがった集団では、意見の斉一性を求める傾向があり、その結果集団内で同調圧力が強まり、集団思考が発生します。病気が共同体の基盤となっている場合、病気であることが共同体の成員のアイデンティティーを形成します。

そのため、集団内で、症状の重さが追求されるべきものだという暗黙の了解、外の人間からすると奇妙に思える集団思考が生じます。そのため、自傷系集団の成員は病気を治癒し、共同体を離れることよりも、自分の病気を重さをアピールすることで、その集団内で自己実現を図ろうとするのです。

主人公は、ネット上で互いに傷を舐め合う自傷系の若者をどこか馬鹿にしており、恵に対しても苛立ちを感じます。そのため、彼女は掲示板では、彼女を追いつめるようなことを書きます。しかし、主人公は、掲示板と同じ内容を、自分の目の前で話す恵のことは好きなのです。つまり、ネットを介して関わるときと現実社会で会ったときでは、同じ人物に対する評価が変わってしまうのです。

また、主人公は、自分の身近な範囲以外、たとえば社会的な問題やネットの向こうにいる人々に、全く現実感を感じません。それらは、皆メディアであり、スイッチを押したら、消えるものです。そのため、彼女は、自分の掲示板でも書き込みが、恵の行為に影響を与えていることを、ゲーム感覚で楽しんでいたのです。

しかし、この物語の最後で、主人公は、自分が行った行為が、現実感のあるなしにかかわらず、実際に現実に影響を及ぼした、つまりメディアの向こうにも確固とした現実は存在するのだということを思い知らされることになります。

200頁ほどの短い作品で、文章もこなれて読みやすいので、さらりとストレスなく読むことができました。雨宮さんはライターとしても売れっ子のようなので、やはり文章は大変上手いのだろうと思います。

この作品では、恵の行動がエスカレートする原因となった、ある自傷系少女の自殺あるいは過失死の場面がありますが、現実に同様の状況でなくなった南条あやという方がモデルとなったのではないかという指摘もあります。(リンク


EXIT

EXIT