とっておきの音楽祭 2007

今日は、仙台中心部で、「とっておきの音楽祭」という音楽フェスティバルが開催されました。この「とっておきの音楽祭」は、主催者側のコピーによれば「障害のある人もない人も一緒に音楽を楽しみ、音楽のチカラで心のバリアフリーを目指す音楽祭」です。

というわけで、この音楽フェスティバルでは、障害者も健常者も混じって、街中に数多く設置されたステージで、歌ったり、演奏したり、踊ったりしていました。この音楽祭は、参加個人と団体は223、参加者総勢1600人が、24個のステージで一日中演奏するという、非常に大規模なものです。

この音楽祭の特徴は、先ず第一に障害者もステージに立つ側に回るということです。障害を持っている人の中には、楽器を演奏したり、歌うことが難しい、あるいはできない人もいるわけですが、そういう人でもステージに上がり、人前で演奏するのです。そのため、事実上演奏の上手い下手は問題になっていないとも言えます。重要なのは技術ではなく、人前で歌いたい、演奏したいという気持ちだけなのです。

これは、おそらく健常者の出演者でも同じです。この「とっておきの音楽祭」には、障害者だけではなく、健常者も演奏するのですが、何しろ参加者数が参加者数なので、彼らも特に審査があって出演を許可されたわけではないのでしょう。問われるのは、技術よりも、気持ちというのが、この音楽祭の面白いところです。

特徴の二つ目としては、街中にステージが点在していることでしょう。ステージは街中に24もあるのですが、これらの大半は、ビルの前のちょっとしたスペースや、アーケードの真ん中、店の前などに、簡単な音響設備を設置しただけのものです。しかも、ステージ数が多いので、街中を歩いていると、いたるところで誰かが演奏しているところにぶつかるのです。まさに、仙台市の中心部が、丸ごとフェスティバルの会場になったようなものです。買い物に来た人が、たまたま何かやっているから、ちょっと足を止めて見てみるという、気軽な参加の仕方ができるのが、このフェスティバルの面白さです。

実は、この二つの特徴は、仙台で秋に行われる定禅寺ジャズフェスティバルの特徴といっしょです。違うのは、障害者参加を目的にするかどうかくらいで、両方の音楽フェスティバルの基本コンセプトは本質的に共通していると思います。

双方の音楽フェスティバルでは、出演者と聴衆の敷居を、可能な限り下げています。出たいと思えば、上手くなくても出られるので、聴衆が誰かの演奏を見ながら、自分も人前で演奏したいと思えば、次の年には実際に出れてしまいます。こんな具合なので、出演者のレベルはプロ級の人から初心者まで色々なのですが、見るのにお金が必要なわけではないし、歩いていてたまたま気に入った音楽があれば、足を止めて聴いてみるという音楽祭なので、誰も文句は言わないわけです。

このように、この二つの音楽祭では、出演することに関しても、演奏を聴くことに関しても、ほぼ極限まで敷居を下げることで、できるだけ多くの人を巻き込もうとしています。つまり、この二つの音楽祭では、できるだけ多くの人を巻き込むことこそが、目的になっているのです。

「とっておきの音楽祭」では、社会的に排除され、日頃健常者のほとんどには「見えなくなっている」障害者を、表舞台に上げることで、「見える」存在にすることを狙いにしています。障害者の社会的排除には様々な次元がありますが、この音楽祭は、音楽を通して心理的な排除を和らげようとしているのだと思います。

そのためには、ホールなどの閉鎖的な空間よりも、色々な人が偶然目にすることができる路上の方が適しているので、街中に沢山のステージを設置しているのだろうと思います。

かつて祭りは地域共同体が行うものでしたが、現在ではすでに地域共同体はかなりの程度崩壊しています。仙台のような都会ならなおさらです。日本は中間団体の崩壊が先進国でも最も進んでいると言われていますが、個人がバラバラになり、各々が自分の利益でしか動かなくなると、社会の公共性が失われ、社会が上手く動かなくなります。

特に、障害者などの社会的弱者は、そのような状況下では、社会からの支援を受けにくくなり、苦境に陥ることになります。そのため、健常者も障害者も、同じ共同体に属する仲間だという感覚が、多くの人々に共有されることが非常に重要になります。

そのため、従来とは反対に、祭りによって、共同体感を作り上げることが必要となるのでしょう。そして、「とっておきの音楽祭」では、障害者を社会的に排除しないために、音楽を通じて心理的な公共空間を作ろうとしているのだろうと思います。

しかし、バラバラになった個人を公共空間で包摂するというのは、障害者にとってだけではなく、現代の日本社会に生きる全ての人間にとって重要なことでしょう。公共空間は、その社会のセーフティーネットでもあるからです。

そういう意味で、「とっておきの音楽祭」や「仙台ジャズフェスティバル」がやろうとしていることは、かなり野心的であり、社会の根元的な問題と深く関わっていると思います。このような先鋭的で、ラディカルな音楽祭が仙台で生まれ、継続しているのだから、仙台はかなり凄い都市だと思います。仙台では、他にも市民主導で、色々なイベントが行われているので侮れません。