アウトサイダーアートについてググってみることの重要性

paint/note さんというブログで、ヘンリー・ダーガーに関する日記がありました。(「かへる日記」経由)ありがちなことですが、どうも基本的な部分で誤解があるようです。

そもそもアウトサイダー・アート、あるいはアール・ブリュットの定義が状況的に言ってあやふやなのだが、ここでは一般的な解釈、すなわち美術教育を受けていない、神経症あるいは精神病の疾患者によって制作された芸術作品と定めておこう。

paint/note


これに関しては、Wikipedia の「アウトサイダー・アート」の項の以下の記述が参考になるでしょう。

デュビュッフェ自身は、知的障害者が描いたものとは一切言っていないが、一般に、そういう障害者の作品をいうことがままある。一般にアウトサイダーアートは精神障害者の描いた絵画と思われているが、必ずしもそうではない。

とかく、障害者を社会の枠外に置きたがる風潮のなかで、そうした人たちに対して「アウトサイダー」という言い方をする場合、差別的という非難をされてもしかたがない。アウトサイダー・アートを安直に、精神障害者のアートと結びつけることも好ましくない。

Wikipedia


ここでの意見は、Wikipedia らしからぬ主観的な判断が入ってはいると思いますが、服部正さんの『アウトサイダー・アート』に書いてある主張などをふまえたものであると思われます。アウトサイダー・アートは、歴史的な経緯や用語の語感のせいで、病人や社会的な逸脱者の制作した作品だと誤解されることが極めて頻繁に起こるのですが、別に健常者でもアウトサイダー・アートを制作することは可能です。

そもそもダーガーは単純労働とはいえ最晩年まで自分で労働して賃金を得て自活しており、素朴に言って一般的な社会人ではないか。ごく若い時にいくつかの問題行動をおこしたことを取り上げて「アウトサイド」としてしまうのは、いくらなんでも極端だしおかしいと思う。

paint/note


多くの人が、ダーガーを病人扱いしているからこのような誤解が起こるのだと思いますが、ダーガーは異常な人間だからではなく、美術界の外側で作品を作っていたので、アウトサイダー・アートの製作者だと見なされています。


カラバッジオは殺人者だし、シーレは女児への猥褻行為で告発されている。彼らやゴッホの絵がなぜ「アウトサイダー・アート」とカテゴライズされないのか?答えは単純で、ゴッホの絵であれば「症状」として隔離され保護されなければいけない弱さがなく、作品それ単独で美術(史)的に自立しているからだ。

(中略)

僕はダーガーをファインアートの文脈に位置付けるのは間違いで、その作品は特異な素人のイラストレーションの域を出ていないと思う。

paint/note


アウトサイダー・アートアール・ブリュットという用語の定義を参照すると以下のようになります。

デュビュッフェが1949年に開催した「文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットには、「アール・ブリュット(生の芸術)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」のことだとある。

つまり、特に芸術の伝統的な訓練を受けていなくて、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向、モードに一切とらわれることなく自然に表現したという作品のことをいう。特に、子どもや、正式な美術教育を受けずに発表する当てもないまま独自に作品を制作しつづけている者などの芸術も含む。

Wikipedia


カラバッジョゴッホは美術教育を受け、美術界のインサイダーだったのでアウトサイダーアートの作者ではありません。上述の通り、製作者が精神的な病気だったかどうかは、アウトサイダー・アートの判定とは関係ありません。アウトサイダー・アートは、既存のアートの文脈とは関係なく作られた作品のことなので、用語の定義上アウトサイダー・アートの作品が、ファイン・アートの文脈に位置づけられないのは自明のことだと言えます。


日記後半のダーガーを「アウトサイド」だと見なしたのが、アメリカのイデオロギーだ云々という部分も、アウトサイダー・アートにおける「アウトサイド」という意味を取り違えたが故の奇妙な推論であると思います。アウトサイダー・アートにおける「アウトサイド」とは、社会ではなく、美術界の「アウトサイド」のことです。ダーガーは、美術界とは全く関係のないところで作品を作っていた人ですから、用語の定義上、彼の作品は必然的に「アウトサイダー・アート」ということになります。

以上の基本的知識をふまえると、参照記事は間違った前提から出発しており、その上に積み重ねられた推論も間違っているという蓋然性が非常に高いと言えるでしょう。

しかし、ロジャー・カーディナルが「アール・ブリュット」を「アウトサイダー・アート」と訳したのは、余りにも誤解を招きやすいということで、上手くなかったなと思います。「アウトサイダー・アート」ではなく、「アール・ブリュット」という用語を使った方が良いかも知れませんね。

いずれにせよ、Google などで検索し、Wikipedia や他の紹介サイトなどを見て基本的な知識を確認することで避けられる誤解というのは、誠に大きなものだと思う次第です。


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