技術と人間疎外

先日私が晒した初音ミクに関するSF的与太話ですが、id:hokusyu さんが書いた日記を読んでいただくと、何のことを書いていたのかが分かりやすいかと思います。

まあ、そもそもなぜアレを書かなければいけなかったか、という理由を説明すると、つまり、初音ミクに対して、「機械のヴォーカルなんてどう考えても人間に対する最大の疎外だろ」という、発せられて当然の問いが、あまりにも無視されすぎている、というのがあったからです。まあ恐らく、「時代の最先端をリードする我々オタク様に投げかけるには、あまりにも古すぎる問いだ」という理由によって。別に前衛ぶるのは結構なことですが、流石にいかがなものかと思わざるを得ないですね。ヴォーカロイドを含めた複製技術の発展が、我々の文化・社会に対して大きな寄与をする可能性というのは当然あるわけですが、それは当然諸刃の剣なのであって、新しい技術に萌えていればそれで良いのだで済まされることではないし、であるにもかかわらず初音ミクを扱う人々がそうした人々ばかりだとすればそれはもう正気ですか?とケンコバよろしく言う他は無いのです。見てるともう信者だよね。宗教か。マルクスによれば宗教は阿片らしいので初音ミクは阿片か。

(中略)

で、これの何が問題かというとまさしく大衆の心性の腐敗に絡めてであります。普通に考えれば初音ミクDTM装置なのだから、「初音ミクでつくった」と言えば事足りる。しかしなぜ「初音ミクに歌わせてみた」と言わなければならなかったのか。「初音ミクでつくった」というのは要するに「製作者は俺です」って言っているわけ。つまり、あくまでもそこには製作者しかいない。でも、「初音ミクに歌わせてみた」の場合、そこには「初音ミク」という表現者が何故か登場しているわけです。初音ミクという仮象の人格をわざわざつくってまで「歌わせてみた」って言わなければならない理由って、はっきり言えば大衆的な支配欲・征服欲を満たすため以外考えられないのですな。

阿片窟で初音ミクを愛でる阿片中毒者たち

初音ミク自体は、単なる音声合成ソフトであり、それ自体何か大きな社会変化を起こすようなものではありませんが、その先を想像させるようなインパクトがあるものではあると思います。だから、ネット上でこれほど盛り上がり、色々な人がソフトそれ自体の持つ影響力に比して、過剰とも取れるような意味づけをしたくなるのだろうと思います。

私が初音ミクを使った楽曲を最初に聴いたとき感じた衝撃は、1996年にホンダの二足歩行ロボットP-2 が歩くところを見たときに感じた衝撃と同質のものでした。つまり、人間の機能の一部が、これほど正確に機械によって再現できるのかという衝撃です。これは当然、遠くない未来にSFで描かれたような状況が、現実化することを予期させるものでした。

それはまだ未来の話ですが、大分外堀は埋まってきたなと思います。すでに3D-CG と音声合成ソフトによって、人間なしでコンピューター上で仮想の肉体を持つキャラクターを作ることが可能になりました。その成果は、すでにニコニコ動画You Tube で無数に見ることができます。




また、アンドロイド技術も急速に進歩し、人間そっくりの表情をするロボットや、女性らしい仕草をするロボットも実現化されています。(参考)これに音声合成ソフトを組み込めば、録音した音声の再生だけでなく、自由に話すことが出来るロボットが作れるでしょう。

次に来るものは何かといえば、当然人工知能でしょう。これは最も高い技術的ハードルになるのだろうと思いますが、人工知能がそれなりに人間の会話や仕草をシミュレートすることができるようになれば、我々はついに鉄腕アトムが実在する世界に生きることになるわけです。初音ミクは、そこへ到るまでの単なる通過点に過ぎないのだろうと思います。


VOCALOID2 HATSUNE MIKU

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