こうの史代『長い道』双葉社、2005年

『夕凪の街 桜の国』で世の漫画読みを平伏させた当代一の気鋭の漫画家こうの史代の『長い道』を読みました。この作品は、3頁から4頁という短い頁による連作です。設定はかなり荒唐無稽です。この作品はある夫婦を描いた作品ですが、彼らは酔っぱらった親同士が勝手に結婚相手を決めたために結婚したのです。現実にはこんなデタラメな理由で結婚をする人はいませんから、設定はいかにも漫画的です。

こんな事情で結婚したので、二人は互いに全く愛情を持っていません。夫は女好きで仕事も続かない甲斐性なしで、妻は何をされても動じない変わった女性です。この作品は、基本的にはこの二人の共同生活で起こる、様々なドタバタを描くギャグ漫画です。

この作品は、著者も述べているように、表現を実験するという色合いが強い作品になっています。基本は日常ものなのですが、合間合間に本編とは隔絶したファンタジー的な話しも挿入されています。筆で書いたり、コマの分割の仕方を均等にして、コマ数を変えたり全部横にしたりと、コマ割も色々と試しています。また、台詞が一切ない話しもあります。

他方で、全体を貫く大きな物語も、この作品には存在しています。一つは、妻の老松道が、過去の恋愛から解放される話です。作中では、断片的に彼女が昔つき合っていた男性の存在が浮かび上がります。彼女が親の無茶苦茶な結婚話に乗ったのは、彼の親に反対され結婚できず、別れなければならなかったからです。彼が住む街に自分も住み、いつか彼と再会することを彼女は望んでいたのですが、実際に彼女は彼と再会し、彼が自分との恋愛を振り切り、結婚しようとしていることを知ります。自分との悲恋を乗り越え、新しいパートナーと幸せになっている彼の姿を見て、彼女もようやく過去の恋愛を振り切ることができたのでした。

この一つ目の話は、二つ目のより大きな話と密接に結びついています。つまり、彼女と夫の関係の深まりです。元々二人は愛し合って暮らし始めたわけではありません。そのため、夫の荘介は道を家政婦のように使い、自分は他に女を作ったりやりたい放題しています。妻の道は、表面的には甲斐甲斐しく尽くしているように見せながら、心も体も彼に許そうとはせず、厳格に一線を引いています。

しかし、そうやって愛情のない二人は、いっしょに生活し、様々な事をいっしょに経験していくことで、次第に関係を深めています。つまり、お互いにとって、お互いが次第に大切な存在になっていきます。この作品は、二人の些細な日常の出来事をミニマルに反復することによって、二人の関係が深まっていく様を描いた作品なのです。

おそらく、それは恋愛感情とは別のものです。それは恋愛における愛情というよりは、お互い情が移るといったものに近いだろうと思います。著者は「偽物のおかしな恋」と述べていますが、元々愛情なんてなかったのに、いっしょに住むうちに、広い意味での本当の愛情が芽生え初めていくのです。道が昔の恋人が幸せになる姿を見て、自分も解放されたように感じることができたのは、彼女の夫である荘介との間に、既に愛情が生まれ始めていたからに他なりません。

これは現代の恋愛結婚とは全く反対のものです。しかし、つい数十年前までは、日本ではこのような夫婦の方が普通でした。お見合いなどで、良く知らない人と愛情なしに結婚し、結婚した後共に苦楽を共にし、子どもを生み育てることで、互いの情が深まるというのは、歴史的に見ればむしろ普通のことです。

このような愛情の描き方は、一方では古くさいとも言えますし、他方では現代の趨勢に反抗するラディカルさを持っているとも言えます。これは彼女の絵柄や作品そのものにも共通することではないかと思います。

しかし、こうの史代の必殺の決め場面、つまり輪郭線を描かず、斜線のみで描かれた背景の中で、ベタなしの人物がロングショットで描かれる場面は良いですね。彼女は絵は上手いとはいえませんが、スクリーントーンや定規を使わず、掛け網や斜線などフリーハンドの細い描線を重ねることで、何とも言えない淡くて清冽な感じを出すのが本当に上手いと思います。『夕凪の街 桜の国』でもここぞというところで大変効果的に使われていましたが、この感じが何なのか、どこから来るのかは、考えてみる価値がある問題だと思います。

ちなみに、2002年の同人誌の再録である「道草」の決めの3ページは、後から書き直したものですね。

私も『夕凪の街 桜の国』で彼女を知ったくちなのですが、『長い道』を読んで、あれはフロックではなく完全に実力だったことを思い知りました。この作品も凄い作品だし、こうの史代は本当に凄い漫画家だと思います。



参考


長い道 (Action comics)

長い道 (Action comics)