ジェシカ・ユー監督 『非現実の王国 ヘンリー・ダーガーの謎』

桜井薬局セントラルホールで『非現実の王国 ヘンリー・ダーガーの謎』を見てきました。この映画館を訪れるのははじめてだったのですが、大きなスクリーンが一つだけあるという昔ながらの映画館という感じでした。街の真ん中にある映画館は、もうここだけなので、良く生き残っていると感心します。

しかし、数百人はいるような館内に数人しか客がいない貸し切り状態で、ミニシアターではありえない大スクリーンの映像を見られるというのは贅沢でした。

映画は、ヘンリー・ダーガーの生涯を、彼が書いた『非現実の王国』と絡めながら描いていくというドキュメンタリー映画です。この映画の最大の価値は、ダーガーを実際に知る人々のインタビューを取っていることでしょう。大家のキヨコ・ラーナーをはじめ、かつての同居人や隣人、教会の手伝いをしていた人などが、ダーガーについて色々語っています。

先ず、ヘンリー・ダーガーの発音ですが、「ダーガー」と発音する人もいれば「ダージャー」と発音する人もいたそうです。映画のナレーションでは、ダージャーと呼んでいました。

彼らが語るには、ダーガーは、人と全くコミュニケーションを取ろうとせず、話をするときも天気以外の話は絶対にせず、部屋で複数の人間の声色を真似て一人語りして、いつも汚い浮浪者のような格好をした、孤独な変わり者だったそうです。余りに変わっていたので、半ば狂人だと思われていたようです。

面白いのは、他の人が見るダーガーと、ダーガー自身の考えは全く異なっていたことです。ダーガーは、子供を愛し、守りたいと思っており、養子を取ろうとまでしていましたが、他の人はダーガーは大人同様に子供にも全く関心を向けなかったので、子供嫌いだと思っていました。ダーガーは、常に神が自分に与える苦しみを理不尽だと考え、神を糾弾したい思いと神の罰を恐れる思いの間で揺れ動いていましたが、他の人たちは彼は毎日欠かさず教会に行く熱心な信者だと思いました。また、他の人は、ダーガーは人が嫌いなので好きで一人でいると思っていましたが、ダーガーは孤独感や惨めさに苛まれ、たった一人の友人が引っ越しをしたときにはこの世の終わりとばかりに嘆き悲しんでいました。

基本的にダーガーは、自分の気持ちを他人に全く示そうとしなかった人だったので、他の人たちが彼のことを理解していなくても、それは当然だと言えます。

多分、ダーガーも、本当は人から愛されたかったのだろうし、地位や名誉を得たり、賞賛されたかったのだろうと思います。しかし、実際には彼にはコミュニケーション能力が全くなく、貧乏で、人が蔑むような仕事を修道女に叱責されながら続け、友人も一人しかおらず、家族もなく天涯孤独で生きていたわけです。彼は『非現実の王国』の中で、子供の守護者として自分を登場させるなど、物語の中で地位や名誉、賞賛を得ていました。やはり、彼があれほど物語にのめり込んだのは、彼が現実では不可能なことを、物語の中で実現させたいと強く願ったからなのだろうと思いました。

また、『非現実王国』には、結末が二つあるそうです。一つ目は、キリスト教徒軍がグランデリニアンの将軍に対して大勝利を収め大団円で終わる終わり方です。しかし、この大団円の次のページに、キリスト教徒軍が歴史的大敗を喫し、グランデリニアンから敗走するという結末が書いてあるのだそうです。この二つの結末も、ダーガーが神と世界の不条理さに対して感じていた二律背反的な感情を表したものなのだろうかと、私は思いました。

ダーガーは大家のラーナー氏のことは信頼し、色々相談をしていたそうですが、その中には彼がイタリア人の美少女にレイプされ、財布を盗まれたというものがあったそうです。

映画の中では、ダーガーの描いた絵が、アニメーションとして動いていました。画面一杯にあの色彩豊かな絵が広がり、動く様を見るだけでも、この映画を見に行った甲斐があったと思いました。

ナレーションの一人に当代きっての子役であるダコタ・ファニングが採用されていたのですが、予算は潤沢ではなかったろうに、良くぞ大物を連れてきてくれたと感心しました。この映画のナレーションに、彼女以上の適役はそうはいないでしょうから。

82分とかなり短いですし、内容もダーガーの生涯を軸として、簡潔で良くまとまっているので、非常に観やすい映画だと思いました。ダーガー好きには、たまらない映画だと思います。


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